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2005年11月6日 - 2005年11月12日

2005/11/11

始まる前に終わる日記

急に寒くなっちまいました。
やっと雪です。

最近、ものわかりのいいわたし。

「走るなら、バスに間に合う」と書いて
なぜ、こんなのじゃダメかわかりました。

これじゃ、十二因縁の中に入れてもらえません。
科学の法則にもなりません。

複合的なものは、複合的になればなるほど、
因果度数(?)が弱くなるのよ。

五蘊のかたまりの「わたし」と、やっぱり五蘊のかたまりの「バス」。
五蘊(色形、感受、表象、志向作用、識別作用)だからね。

バスが五蘊なのは、運転手さん込みだからです。

因果の道は、純粋素材を求める道か。
なかなか!かしこくなるわたし。


ブッダの気持ちがよくわかる。。。そんな気がする

。。。だけ

かな。。。。。。。。。雪、ふるかなぁ?。。。こんなゆき。。。。。


寒いけど我慢して仕事に行かなきゃ。
じゃあね。

今日の日記は、始まる前に終わります。
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帰ってきて、日記読んだら、何書いてあるのかわからんですね。

ええとね、
因果関係を求めるときは、
「原因」におかれるものと「結果」におかれるものとが
その哲学体系の最小単位の要素であることが望ましい

って、言おうとしたのでした。

「原因」「結果」が複合的なものだと、あまりきれいに因果が出てこない

って、言いたかったのでした。

朝だから、寝ぼけてたのかも。
あら、いつもですか。

そうだ!思い出したけど
「最近、サイトの内容がむずかしいですよ」と言われました。

ええっ!
そうお?そうなの!

なんかさ、龍樹がでてくるせいかしら。

わたしね、もう、自分じゃ、わかんないのよぉ!

どれがむずかしくて、どれがむずかしくないのか、

はっきり言って、全然わかんないの。

味見しすぎて、舌がバカになった感じにちかいかな。

つまり

龍樹やりすぎて、頭がバカになった感じ … 「感じ」っていう字取ってもいいかも。

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2005/11/08

因果の道

ここ1~2日、何だかいろいろ変化が著しく、いろんなことを考えてしまいました。

掲示板で、無宗ださまと議論しているうちに、龍樹の『中論』が、ぐぐぐっと
せまってきて、ありがたかったです。

今までは理論の輪郭をつかんだなという感じでしたが、
とうとう本丸に切り込んでいってる感触がしはじめました。
ずいぶん見えてきたのだった。

んで、

覚悟を決めて、チベット訳をごそごそさがしはじめる。
ああ、チベット語を読むのかぁ。つらかよ。って思うです。

それにしても、龍樹の作品はほぼすべて、しっかりつながっているのを感じる。

どうして『大智度論』が龍樹じゃないっていう説が出てきたんだろう。
どうして『廻諍論』が龍樹じゃない、なんて言うんだろう。

龍樹は、いつでもおんなじことをくり返してるんじゃん、って思って、
みんな、なんでわからないかとちょっぴり焦燥感!

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次に、久しぶりに『ニヤーヤ・バーシャ』を読んで、
こっちサイドに、頭が切り換えられなくて、完全にパニックになる!
アクシャパーダの書いているのを読むと、あまりの大胆さにほんとに信じられない!

龍樹を正面からぶったぎっておるのよ。

畏れ多くもかしこくも、あの、天下の、龍樹さま!!に、楯突こうなんて…、
っという
まるきり仏教サイドの意識で、非難のまなざしになってしまう。

いつからこんな考えが … 自分でも驚愕じゃ。

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前回、ブッダ論理学で因果関係を語ろう、なんて、
かなりルーズなことを書いたらさっそく罰が当たる。

今日は、看護学校で、説明してて、
みんな「ならば」が全然わかっていないことがわかって、
四苦八苦してしまう。
全部最初から説明し直し!
余計わからなくなったかも。

「推論の形式化」をするため、前提の文を結論にあわせていらない修飾語を削ったら、
それは実際の文とちがうから「正しい」推論の形式化ではないのでは?と言われて
絶句してしまいそうになる。
「形式化」というのは、実際をアレンジすることなんよ … うう
もう、めちゃくちゃ疲れる!

まあ、そんなこんなで、つらつら考えると

因果関係というのは、ほんとに難しいものだと思う。
因果関係の「ならば」を使うということは、大げさにいうと、
命がけだなぁと思う。

例えば、「走れば、まだバスに間に合うよ」なんていう文ですら、
けっこう覚悟がいる。
走って間に合わなかったら、その責任は言った人にあることになるし。

科学や医学は厳しい!
これは、因果の道を歩む学問だからだ。
患者さんの命を預かる医師は、いつもぎりぎりの選択を迫られる。
手術をすれば、患者は完治する … ほんと? … 完治する? … しなかったら?

因果ということそのものを考えても、
この世の中のどこからそんな関係を取り出すか、
それはすべて主観の側にかかっているわけで、
ここにも、この関係の信頼性を疑う要素が入ってくる。

それに

原因と結果はただの観念連合にすぎないという見解がでてくれば、
それだけで、因果関係の足場はぐらぐら揺らいでしまう。

こんな風に因果を語ることは、リスクが多すぎるから、
だから、みんなこの関係を避けようとするのかも。

でも、じっさい、「生きる」ということは、因果の波にもまれるということだし、
自分で命をかけて因果を選び取っていくことじゃないかっていう気がしてくる。

まことにハードな人生です!
でも、というか、だからこそ、生きてる実感はおおありっ。
ブッダが自ら選んだのも、わかるかな。

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