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2005年9月11日 - 2005年9月17日

2005/09/12

せんせいは奧が浅い

日々労働する管理人です。
ああ、労働してる間に、自民党が圧勝してしまいました。

新たな戦前の始まり、なんてことになりませんように。
たのむよ、ほんとに。

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哲学の90枚の答案つけ終わり、ふう、なかなか。

1)自分の死生観を述べ、他の死生観と比較して論じなさい。
2)認識は正しく対象をとらえうるかという問題について述べなさい。
一問選択です。

4月に入ったときには、哲学の素養なんてゼロだから、みんな。
死んだあとどうなるかなんて、考えても仕方ない、なんて言ってた子たちだから。
哲学なんて、答えが出ないんだから、意味ないし、むずかしくてかたくるしいって、言ってた子たちだから。

それがですよ、どの子も、持ち込み不可で、少なくとも原稿用紙3枚から、多い子は10枚くらい書けるようになる。
全部自前の意見だしなぁ。すごいよね。
どんどん勝手に考察をはじめて、進む子はどんどん広がっていくし。

夏休み、相当みんな考えましたね。
もう、人間ちがってる。別人だわ。

ううん、見習いたい!

多くの子は、死生観を自分なりになんとか見つけて、そして、それが「生きる意味」につながっていくことを知ったのでした。死生観を語りながら、最終的には、自分がどう生きるかをがっちり確保してきているんですね。

なるほどね、

死生観をもたない人間は生きる意味を知らない!と断言できそうですよ。

で、結論としては、
輪廻転生、あるいは、死後の世界を認めるタイプと、
今生きている命を見つめてこの一生しかないと死後の無を語るタイプと

大きく二つのタイプに分けられる。

輪廻転生タイプは、くり返し生きるその生き方の中で、何がもっとも善い生き方か(倫理)を考えるし、
輪廻思想なんて逃げだぞ!いかん、この一生・この命を大事にして生きろと語るタイプは、実存主義的。

それとおもしろいのは、若いからかもしれないけど、
自分は「他によって生かされる・生きる」と、他者(親・友人・先生)とのつながりを重視する子が多い。
縁起的ですよね。
みんな、なんだかんだ言っても、愛されて育ってるんだわね。

いや、ほんと勉強になります。
それで、みんなが最後に感想書いてくれたりするんだけど、「哲学は奧が深い」と書いてくれた子が多かった。
そうすか。いや、あなたも奧が深いです。

二問目もとった子は少なかったけど、けっこうカントの「物自体」にせまる子がいたのは、ほほう。
こっちもいろいろおもしろいけど、今日は省略しよう。

で、

一つ思いますことです。

死生観のような、認識できないもの(例えば輪廻転生・天国・地獄)については、

何らかのことがあるとも言えないし、無いとも言えない。証明できない。

このようなものについて何らかのことを主張するとすれば、その根拠はどこに求められるのか?

それは、率直に言うと

「信仰」というしかない。

それを善しとする、誰もが納得する根拠を見つけることはできないのだから。

だから、ちょっと飛躍気味ですが、ある哲学体系の内部で語られることは、

その哲学体系を信仰している人の言葉なのだということです。

そして、それは、論理学においてすら、言えると思う。

ある演繹論理学の体系を受け入れた人は

その論理学を信仰している人だということになる。

だからね、

あらゆる人に普遍的な論理の基盤というものは、じっさいには存在しないのだと思う。

あるのは、対立する二者が、お互いに詭弁だと思う論理学だけ…

ううん、さびしすぎる結論だが、むりやり一つにするよりましかなぁ。

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2005/09/11

管理人の人生読本(ありがたいんだから、ほんとだよ)

いろいろ悪戦苦闘の結果(夫が)、下の子のPCだけがインターネットにつながらないというところまで行きました。

後、一歩だぞ。
この「後一歩」が、一番たいへんだったりする。

わたしも、ね、「後一歩だぞ!」ってところまで来ましたよ。
いろんな意味でね。

まずは、『方便心論』。
まあ、一応終わってるといえば終わってるんですが、
これは、探れば何でも出てくる打ち出の小槌なので、
ついついわからないところが出てくると、見てしまう。

論理学でわからないところが出てくると、これを見、
仏教でわからないところが出てくると、これを見、
ニヤーヤ学派でわからないところが出てくると、これを見、
何でも、まず、これを見てしまう。

万能本です。

ここから、つらつら考えるに、
仏教(おもに龍樹)をやってほんとによかったと思うのは、
人生に対する応用力がついた(気がする)ということです。

どんなことが起こっても、
人生で起こることは、ブッダの教説の範囲内だということがわかって、
いやぁ、気が楽っつうか、変な自信がつくっつうか…

といいながら、世渡りがうまくなったわけではないのが悲しい。
それに、応用するっていっても、ね、

あ、こうするとやっぱり失敗するわけかぁ、なるほどねぇ、ブッダってあたってるなぁ、

っていう応用の仕方だから… 応用できてるって言えるかどうか…

と、とりとめないですが、
わたしが言いたいのは、

仏教の正しい教えは、
どんなにへんてこなことが説かれていても、
どんなに立派なことが説かれていても、
どんなに妖しいことが説かれていても、
どんなに難解なことが説かれていても、
どんなにやさしいことが説かれていても、

みんな、みんな、おんなじことが説かれているということです。

そこがおもしろいよね。

だから、原始仏教といい、初期仏教といい、大乗仏教といい、
いろんな仏教があるのに、みんな仲良く(?)仏教だもんね。
どこの門から入っても、中は一緒。

ありえないんだけど!ふつうなら。

で、最終的に何が言いたいかというと、

いつも同じことが説かれているのに、
まったくちがうように変化する、ってこっちの方を強調したい。

それこそ七変化といっていいくらい、
思想的には多様に展開しめまぐるしい。

この幻の如き変化を支えるのが、

何かって言うと、

縁起(縁りて起こるということ=因果関係)

この理法だってこと。

使えるなぁ、ほんと、すごいよね。
これ一本でお掃除らくらくの魔法の洗剤も、負けちゃうと思う。
縁起一本で、人生らくらく!
脅威の法則、あなたもわたしも思うがままに生きられる!

よし!貴重な意見だが、無料で配布しちゃうわ。
縁起を知る者は、人生に打ちかったものよ。

縁起:あらゆるものは、因と縁とによって起こるのだ。

智恵を使ってよく知って、この理法をうまく使うのよ。
ま、これによれば、どんな変な人生をおくっても、失敗ではないとも言えるし。
変であればあるほど多様性を示して価値があるとも言える。

みんな、がんばって、めいっぱい多様な人生おくってね。期待してるわ。

管理人の人生読本でした… どこがありがたいんだっけ?

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