« 2005年6月19日 - 2005年6月25日 | トップページ | 2005年7月3日 - 2005年7月9日 »

2005年6月26日 - 2005年7月2日

2005/07/02

問答できれば仏教なのさっ!

さて、っと。はぁ、やれやれ。

なんでしょうか。上のため息みたいのは。

わたしの人生って、どうして、こんなに間歇温泉みたいになってるんだろ?って思ってね。

何にもないときには、いやんなるくらい何にもない。
何か起こってくれい~。お待ちしますわ、波乱さま、って感じです。

なのに

起こり始めると次から次へと怒濤のごとくに押し寄せる。
「シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤時代)」なんて言葉もありましたっけね。

で、今、不気味な予感がするんだわ。地鳴りですよ。

今しばらく、何にもなかった「無」の人生の中に、
ようやくやるべき勉強・仕事を見つけたのよ、
そうしたら、というか、そういうときにかぎって、というか、
遠くから嵐のように砂煙が上がっているのが見える。
あ、あれは、おそろしい「仕事嵐」という嵐…。

で?

どうしようもないわよ。恐れおののいて通り過ぎるのを待つ作戦。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、さて、ところで、仕事嵐の来る前に、ちょっとこんな本をご紹介。

いただきましたっ!ほしみっつですぅ。(テレビ番組、堺正章巨匠の「厨房ですよ」の定型句より)

玄侑宗久師とスマナサーラ長老の対談『なぜ、悩む!』(株式会社サンガ)という御本でございます。

今まで、古い仏典とか学者の研究書とか、そういう本ばかりを読んできましたので、
こんな感じの現代仏典(?)ははじめてです!

日本の大乗仏教のお坊さんとスリランカの部派仏教のお坊さんの問答です。

読んだ感想は、

一言、

★まんま★仏教ですねぇ★(ほらね、ほしみっつ)

あたりまえですけど、どこを切っても仏教がそのまんま出てくる。
大乗、部派の二つの仏教が一度にわかる!一粒で二度おいしい本!!

また、「問答の妙」というのも感じました。

ひとりが押せばひとりは引いて、逆に、押し返すともう一方は引く、
という妙。

「はじめに」は玄侑師が、「おわりに」はスマナサーラ長老が書いています。
それ読むと、相当強烈な智恵の戦い(?)あるいは和合であったことがわかります。

わたしとしては、
龍樹と他の学派の人がどんな風に問答したのか、
あるいは、
お釈迦さんが他の人々とどんな風に問答したのか、
何だか、見えたような気がしましたよ。

仏教の本質は、「問答」なのねぇ~(感動!)

って、管理人!名僧二人の問答のやり方ばっかりに気い取られてないで、
他に何かありがたい教えについての感想はないの?
ほら、生きてくうえで大事な「今日の教訓」みたいな、さ。
「幸せになるこころのしくみ」って、副題にもあるじゃん。

え?あ?

そ、そうよね、きょうくん、きょうくん、っとね。あったけ?
問答無用…のところは…きりすて、ごめん…みたいな(汗。。。

ったく!問答無用は、管理人のほうだっ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/06/29

よくわかった話

五月はバテ気味だったけど、六月はやや回復し順調。
なんて言ってたら、もう七月になるのか…はやい、はやすぎる。

さて、先日、元気よく講義をしていました。

「または」という接続詞を勉強していました。
「または」は二つの文を結びつけます。

「または」には、強い「または」と、弱い「または」があります。
強い「または」は、二つの文のうちどちらか一方しか成り立たない場合です。

「トラは犬か、または、猫かどちらかです」…①

トラというのが犬でなかったら猫だし、あるいは、トラが猫でなかったら犬です。
トラが犬猫という動物であることは考えられないのです。

では、弱い「または」はどうでしょう。
これは、二つの文が両方とも成り立つこともある場合です。

「奨学金は、成績の優秀な学生に与えられるか、または、家庭の貧しい学生に与えられる」…②

成績優秀で家庭が貧しければ、言うことないのです。絶対もらえるのです。
これが強い「または」だったら、学生さんは泣いちゃいます。

あ、時間ですね。では終わります。

さて、授業が終わったら、質問にきた学生がいました。
「弱い『または』がよくわかりません。うまく例が見つからないんです」

「え、ううん、(とっさに出ないわよ)選択科目で数学か物理かをとれる、ってのは?
両方とってもいい場合もあるでしょ。」
「はぁ」
「(ダメか)ううん、じゃぁ、じゃぁ、ううん、えええっと、こんなんどう。
(出てこない、はやく考えつかなきゃ、)
ええ、リレーの選手を選ぶのに、足の速い人を選ぶか、または、うう、うう、(なんだ、なんだ、はよ、出ろ)

…顔…かお、

のいい人を選ぶかどちらかである、ってのはどう?…(いいのか、こんな例で)」
「ええっ~っ!顔のいい人ですかぁ!リレーの選手にぃ」
「(やっぱり、まずいかすら)うん!顔で選んでたら、勝負は捨ててるけどね、
だけど、うまいこと、足が速くて顔がいい人がいたら、言うことないじゃん」

「あ、いま瞬間、わっかりましたっ!『顔はいい人』って聞いて、すっごくよくわかりました!」

「え?!わかったの???こんな説明で」
「はい、『顔はいい人』って、ところでひらめいたんです」
「へぇ!(そうなの、どういう発想してんだろ?)あ、もうちょっとましなヤツ思いついた。
オーディションでは、演技がうまい人か、顔のいい人かどちらかが選ばれる、これどお?
これなら、グーな例だわよ。演技のうまくて顔がよければ、絶対だもの。」
「せんせ!ありがとございました、
さっきの『顔のいい人』って説明、すっごくよくわかりました」

「そ、っそおお、よかったわ、喜んでもらって…」

????

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/06/26

哲学者のあたまは固い?

熱波の嵐が吹き荒れる今日この頃。
お暑うございます。

とはいえ、今日はちょっとこちらは気温が下がりました。

昨日のラッセルさまのパラドックス、感動でした。
あんなにきれいに、矛盾律が表れてくるなんて。

あのお話は、もう少し違った角度からも考えることができると思うわ。

命題が、「~と信ずる」という部分を含んでもいいかどうかを検討してみることは必要だわね。

でも、何はともあれ、話題が、「思考法則かどうか」に関わるから、仕方ないかもね。
後で、もう少し考えることにするわ。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

ラッセル先生の例ではないけれど、
わたしたちは、いつも、ある種の偏見というか、色眼鏡で世の中を見ていると思うわ。

「ものが外界にあって、それを見ているんだ」と考えている人は
そうじゃない考え方が、思いつかない。

バークリ先生流に
「存在するとは知覚されることである」と考えてしまった人は
観念の膜でしっかりコーティング。

あたま、かたいわ、哲学者って。
というか、すぐ固くなるのよ、まんじゅうといっしょで。

哲学は、ほんとに、素人と玄人の差がないわ。
一番よく考えたもん勝ちよね。
きびしいわねぇ。ああ、しみじみ。

なんだ、結局、グチだったかしら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年6月19日 - 2005年6月25日 | トップページ | 2005年7月3日 - 2005年7月9日 »