« 2005年5月15日 - 2005年5月21日 | トップページ | 2005年5月29日 - 2005年6月4日 »

2005年5月22日 - 2005年5月28日

2005/05/26

波間の小舟よ!波風の立つ人生よ!

昨年10月からこのブログをはじめて、131個の日記を書いてきました。

つまんない日記だと、我ながら思います。
しかし、日記だから、つまる、つまらない、っという問題ではない。

わたしの日常だから、どうしようもないのです。

でも、

せっかく日記書いてるのだから、
もう少し波瀾に飛んだ人生を送りたい、って気もしてくる。

(本末転倒!)

そこで、これからの人生(と、いっても長くはない)設計を立てることにしました。

(転倒したまま!)

計画としては、波瀾万丈をねらうため、

何か選択を迫られる事態になったら、

「必ず波乱に富むだろうと予測される事態を選ぶ」

っという風にしよう。

こうすれば、少しは日記も「波風の立つ」楽しいものになるのではないかと思います。

よし!

いつもながら、わたしって計画だけは立派だ!

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、このような「波風の立つ」人生の指針を与えてくれたのは、もち、天下の龍樹先生ですが、

しかし、まぁ、彼は、どこでも波風立ててんのね。

現代においても、彼によって立てられた波風は数知れず。
昨日読んでた本にもこう書いてあったわ。

「現代において、龍樹の哲学は、哲学的な議論の逆巻く潮流の中、巨大なうねりのそのまっただ中にあって、翻弄される舵を失った船のごとくにみえる」

ラーマチャンドラ & マンジュのNagarjuna's Philosophy of No-Identity(Delhi,1991)より。

現代の学者がいかに龍樹に翻弄されているかを表す表現です。

ある人は、龍樹の哲学を、ヴェーダーンタ学派のような「絶対主義」と見、
別の人は、龍樹の哲学を、「虚無主義」と見、
別の人は、龍樹の哲学を、「不可知論」と見る。

このように書いてあった。

ったく!困ったもんだ!

わたしの意見を言わせてもらえば、

こういう誤った考えに陥るのは


『方便心論』を龍樹作品としてちゃんと読んでないからだぞぉ~~!

どうだっ!もっと波風たったかな?!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/05/25

燕雀いずくんぞ…あとはぶつぶつ

ここ二日、カフカの『城』のような目にあってる管理人です。

この「カレー日記」を書こうとすると、
何かが起こる。
電話がなったり、
仕事があったり、
食事の支度だったり、
来客だったり、
町内清掃だったり…

ようやく、書けると思うと、
こんどは、このブログに入れない。
はいれない!っちゅうにぃ、っと、パソコンと格闘する。

ようやく入って、書き始めたら、こんどは眠くて、眠気と格闘する。
眠いのとんでけぇ~……zzz…ZZZ

ははは、負けた。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、今日こそ書くぞっと。

先日から、印順氏の論文のお話をちょこちょこしてますが、そんなお話をもうちょっと。

そんなお話って、どんなお話?
それはね

わたしは、いちおう学者っぽく、学問の世界に住んでるのですが、
その研究態度は、あまり学者っぽくないとこもある。

何となく、好きな研究と、そうでもないっちゅうか、肌に合わないっちゅうか、そういう研究とに分かれる。

学問上は、だから、どうということはないのですが、

楽しみという点から言うと、
好きな研究はだんぜん好きなので、しょっちゅう読むことになる。
くりかえし嘗めるように読んでしまう。

印順氏の研究も、じつは、すごく好きなタイプなので、
ほとんどラブレター読んでる感覚に近く何度も読んでしみじみしてしまう。

んで、そのラブレターによると、

龍樹の生涯と作品の概説があるんですが、

それがね、

ありゃ!わたしが「龍樹!大好き」に載せたやり方とおんなじなのよ。

ビックリよ!

『龍樹菩薩伝』のエピソードに添って、龍樹の活動とその作品をとりあげるというスタイルは、

わたしがやったもの…というより、

印順氏の論文の方が早く書かれているので(1993年初版)、

あちゃ、わたしが真似したみたいに見えちゃうか。

あらまぁ、ゴメンね。
でも、まったく同じではないので、
そのうち、印順氏の見た龍樹像も「龍樹!大好き」にあげておこうと思います。
印順氏の方が詳しいなぁ。
彼は、台湾の人だからね。漢訳方面に強い!いいわねぇ。

それでもって、ここからわかることは何か?

わたしと印順氏は相性がいい…ではなく
それぞれ別々に龍樹を探っていって、似たような結論に達しているということは…

この説は、ある程度普遍性があるのではないか、っということです。

龍樹作品とされるものを研究している人々が共通にもつ「龍樹像」、

これが、

明らかになってくると、

龍樹の姿もより鮮明になってくるのではないかと思う今日この頃でした。

あ、それで、印順氏が強調する龍樹像を一つ、二つ。

一つ。龍樹は、長命の論師であった。

一つ。龍樹は偉大な天才型の論師であった。
これについて、もおすこし。

『大智度論』研究者、ラモット教授は次のように言う。

『龍樹菩薩伝』に説かれる「龍樹」は、
崇高な理想を抱く冒険家であって、
「『中論』を著した鋭敏にして厳しい学者」や
「『大智度論』を著した博学の百科全書編者」
には相当しない

だから、『大智度論』作者は龍樹ではないだろう、とします。

印順氏の反論は

偉大な天才型の論師は、決まった型に限定されるものではない

というものです。

これは、

現代の学者が、分業スタイルで研究し、小さく小さくまとまってしまうことを皮肉っている

のではありません。

燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、

ってことでもありません。

印順氏は、とても立派なお坊さんなので、そんなこと言うわけないです。
でも、読んでると、

どうしても、そんな気がしてきてしまうのは、

そう思っちゃうわたしが、悪い!わね。
悪いの、悪いの、とんでけぇ~…(だめだ!飛んでかねぇ)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年5月15日 - 2005年5月21日 | トップページ | 2005年5月29日 - 2005年6月4日 »