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2005年3月27日 - 2005年4月2日

2005/04/01

すり混ぜる

札幌4月1日の積雪85センチは、1890年以来統計上二番目の記録だということです。
だろうなぁ。去年は、今ごろ自転車に乗ってどこにでも行けたのに。

雪は、基本的に好きだけど、ここまで多いとため息が出ちゃう。

それから、おかげさまで、とうとう、とうとう、チーズケーキ作りました。
ああ、よかった。

みんなも作る?
生クリーム200g(一パック)、クリームチーズ200g(一箱)、卵3個、小麦粉大さじ3杯、砂糖100g、レモン汁一つ分、塩ひとつまみ
ぜんぶすり混ぜてどろどろにして、バターを塗った型に流し込んで170度のオーブンで40分焼く。

最初にクリームチーズと砂糖をよく混ぜて練っておくと、うまくいく。べたべた…っと。

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さて、チーズケーキもできたので、

心おきなく『廻諍論』と『中論』とウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』とスマリアンの『決定不能の論理パズル』とを読んでみました。

と…

こんなにぜんぶすり混ぜてどろどろにして読んでいると…

何ができるんだろう。

龍樹の『廻諍論』と『中論』をすり混ぜていると、

『ニヤーヤ・スートラ』と『ニヤーヤ・バーシャ』の解釈が浮かんできて
あ、そうだったのか
スートラが見えてきた。

さらにスートラが見えてくると弁証法が気になって『論理哲学論考』に到達。
これを自分の脳みそとすり混ぜると

ブッダの『阿含経典』の解釈が見えてきた。

へえ、っと思いながら、ブッダのことを考えていると
『決定不能の論理パズル』と内容が似ていたこと(?)を思い出し、
それもすり混ぜると

三浦俊彦氏の『論理サバイバル』が分離してきた。

ああ、ここにもあったのか、っと、パラドックスの問屋さんのような見本目録をながめて、

問題分析をしようと試みるわたしでした。

論理の問題は、ぜんぶどこかで繋がっているはずだから…まぜて焼くと、でっかい論理ケーキができるかな?

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こういうべんきょの仕方してるひと、いないと思うぞ、うん!
(よい子はけっして真似してはいけません)


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2005/03/31

ずるずる引きずるもの

もうすぐぅ、は~るですねぇ!
ちょっと自覚してみませんかぁ♪

って、歌なかったでしょうか?

昨日、今日、吹雪いて雪が積もってくるのを見ると、春になる気がないのではないかと思う今日この頃。

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だらだら雪の降る今年の天気のように、わたしもだらだら引きずるものがある。

いつも心に引っかかりながら、ついついずるずる引き延ばしている。
いけないわ。

そうだっ!ここに書いておくわ。
そうすれば、懸案事項の筆頭に躍り出ることになる!

じつは、一ヶ月前から、冷蔵庫に眠っているクリームチーズと生クリーム。

みんな覗いて、「これどうすんの?」
わたし「チーズケーキ作るの」

       …

「これどうすんの?」
「チーズケーキ、いつか作る」

       …   

「これまだあるよ。どうすんの?」
「チーズケーキ、作りたい、そのうち」

       …

「もう賞味期限来てるんじゃない」
「大丈夫!4月5日だから」

それにしても、タイムリミット近づいてますわ。

ぜったい、今日作るぞ!

っという、せりふも言いあきた。じつは、このところ、毎日朝固く決意してることではありますが…
まぜて焼くだけというこの簡単な作業が、こんなにむずかしいとは…

しかし、よく考えたら、インド論理学なんて、何十年も引きずってるよ。
とっくに賞味期限キレてる材料で、論文作成して発表してるわねぇ

            …       つみぶかいわ

っていうか      …       けっこうみんな丈夫なお腹してんのねぇ。 

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2005/03/29

春の読書は…向かないかも

昨日のヨーガの話、「宗教っぽい」って言われてしまいました。

そうか、「悟ってないのに『悟ってる』という場合」という、何となく宗教チックな例をあげたからかなぁ。

じゃ、ちがう例もあげておきましょ。
宗教っぽくてイヤな人は

例えば「石ころでないものを『石ころだ』という場合」って、置き換えてください。
これは他のものでもOKだよ。自分の好みでいろいろ変えてね。

「ドラえもんじゃないのに、『ドラえもんだ』という場合」
「ブランド品じゃないのに『ブランド品』という場合」
             …
つまり

「そうじゃないのに『そうだ』という場合」であれば、いいのです。

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さて、前にウォルター・ワンゲリン『小説「聖書」旧約篇』(徳間文庫)を貸してくれた人が、こんどは新約篇を貸してくれました。

ウォルター・ワンゲリン『小説「聖書」新約篇』(徳間文庫)です。

真剣に読書!

む、むず…

か…

すい…

読んだ感想というか、率直な印象:

旧約聖書は、小説として読むと、ストレートなメッセージだった。
倫理をとく忍耐強い神と愛すべき愚かな民の「もー!何とかしろよ」的関係の軌跡。

しかし、今回 … それに、イエスというファクターが入って、完全に三角関係になっちゃっている。

小説ということでフィルターがかかっているのを抜きにしても、

新約聖書というのは、ものすごい謎ときですねぇ。

ウソは書いてないのだと思う。

でも、

ストレートに書くべき真実のどこまでストレートに書いているのか全然わからない。
これを書いた人は、ものすごく慎重に書くべきことを選んでいるという感じがする。
反対する人々にはぜったいばれないように、しかし、信じようとするものにはメッセージが伝わるように。

イエスの説法は魅力的だが、それをそのまま書くことは何らかの圧力によって許されなかったようだ。

読後に残る印象は、
まったく具体的にはかかれていないが、
その外圧のいかにすさまじいかです。

イエスの教えが何なのか小説の最後まではっきりしてこないほどすごい。
神の勧める倫理を、部族を超えてより普遍的にしようとしたのが、
イエスの意図だというのは最後の方でようやくわかった。

「汝の隣人を愛せ」というメッセージがそこで出てくるのでね。

それにしても

よくよく思うのは、暗愚の民は超強力で頑固だっちゅうことですね。

そして、
まぁ、それは、わたしたち誰でもがもってる要素ではある…っと。

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新約聖書の学問的な解読はいろいろ進められていると思うのですが、
それとは別に、聖書といわれるような、みんなのための書は、人それぞれいろんな読み方ができると思う。
素人は素人なりにねっ(^_^)v


昨晩マジにまじまじ読んでたら、部活でぼろぼろ・足揉んでもらいたい息子がそばに来たので

クライマックス「骨が分けられ、大釘が…」に気を奪われているわたしは

「かあちゃん、今忙しい!
ちょうどイエスの足に大釘うちつけて、十字架に張りつけてるところなんだから、目が離せないっ!」

と先手を打ったら、

「僕だって、足うちつけてもらいたい。…足が十字架の棒…」

と言いつつ、さびしそうに行ってしまいました。

うう~、げんじつにひきもどされるぅ~

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2005/03/28

インド人(インディアン)うそつかない

先週土曜日、ヨーガのみなさんとお話ししたとき、

「今日のテーマは…」といって、

上の表題の「インディアン(インド人)ウソつかない」をあげたら、「古いですねぇ」と言われてしまいました。

ははは、みんな知ってるじゃん。

でも、いい題名だと思うわよ。
すごく受けたもの。
それにとってもあたってるし。

最近、ヨーガの人に話をするとき、うまくいくことが多い。
今までは
「とっても乗れないわ、その話。何言ってるかわかんない」って戸惑ったような反応も、けっこうあって

こちらの能力不足と勉強不足とテクニック不足を実感し続けましたが、

最近、ちょっと開眼することがあって、それ以来うまくいくことが多くなった。

何に開眼したかって?

ま、たいしたことじゃないんだけど、

「自分のわかっていることだけ話す」

という方針に徹することにしたの。
今までもそうしたかったけど、それやると2時間も時間がもたないのよ。
実力ないって、さびしいことね。

ああ、それで、何話したかって?

『ヨーガ・スートラ』

もっと詳しく話せって?

あのね、『ヨーガ・スートラ』が言ったのはね、

悟ってないのに「悟った!悟った!」って言うのは、誤りだって言ったの。
みんな、すごく納得してたわよ。

悟っているのに「悟ってない!」というのも、誤りじゃないかと言うかもしれないけど、これはいいの。
気がつけば直るものだから。

でも、悟ってないのに「悟った!悟った!」という人は、気がつきにくいし、直すことがむずかしい。

ウソを言ってると思わずに言うウソが、一番のウソなのだ!

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ヨーガの人と話してると、とても楽しい。
自分でも、いろいろ勉強になる。

悟ってないのに「悟った!悟った!」って言うのは、誤りだ。

って、このことは、わたしは論理で知ったのだった。
でも、ヨーガをやってる人は、実践で知ったのだった。

二つが一つだってことがわかって、やっぱり、「インド人はウソつかない」、って実感したのでした。

知識の道と行為の道のどっちの道によっても、一つの結論に到達するからです。

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