« 2005年3月6日 - 2005年3月12日 | トップページ | 2005年3月20日 - 2005年3月26日 »

2005年3月13日 - 2005年3月19日

2005/03/19

龍穴にいらずんば龍児(樹)を得ず

マジですか?
また雪ですよ。30センチ。

窓なんかとっくにぜんぶ埋もれて二階にせまる勢いです。
いい加減に3月だということを思い出してよ。雪ン子ちゃん。

朝、雪かきに外に出ると、除雪のブルドーザが向かいの官舎の除雪をしていて、
独りお兄さんが車の誘導や除雪の安全確保についていました。

暇そうなお兄さんと除雪をしながら、おしゃべりする。
厳寒の吹雪の中でずっと立って仕事をするわけだから、とてもたいへんです。

わたし:寒いのにたいへんですねぇ。

お兄さん:(マイナス)五度を超える(下がるという意味)ときついけど、今はインナーのいいのがあるから、そんなに寒くないんですよね。冬山登山のインナーがあるんですよ。
それより、日焼けが困りますよ。皮膚ガンとかありますから。

お兄さん:今年はもう1月で例年の積雪量に達してるんですよ。それから、こうですからねぇ。

わたし:二冬(ふたふゆ)分いっちゃいましたね。

お兄さん:いや、ほんとですね。大雪の年は豊作だっていいますからね。それを期待して、ね、ま、わからんですけどね。


お兄さん、すっかりブルドーザに背を向けてわたしとおしゃべりし始めたので、ちょっとまずいかもと思って、雪かきはほどほどでやめる。
朝から、おしゃべりするのも楽しいわ。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、龍樹問題について再び考えます。

辛口批評の昨日をふりかえって、言い過ぎたかなぁと反省してみる。
ここまでわかるだけでもたいへんなんだから、そんなにすぐ何でも解明できないよね。

まぁ、今後の課題ということで聞いてもらえば…

っと、ここまで書いて、一つ気づきました。

わたしの方法論と今までの方法論とでは、大きなちがいがあることを。

今までのやり方は、一つの作品を註釈にしたがって検討するというのがふつうでした。
だから、註釈のないものはあまり検討されないし、注釈者が何人もいる場合、注釈者同士の比較検討などが行われてきたわけです。龍樹研究というより、龍樹の注釈者研究というのが正しいのでしょう。

わたしのやり方はちがいます。
というか、調べたくても註釈ないので、そのまんま作品にずぼっと入っていかざるをえない。
作品に入っていくと、当然わからないので、他の龍樹の作品を註釈代わりにする以外方法がない。
そうなると、註釈がついているものであっても、註釈ぶっ飛ばして龍樹の作品にどんどん直接アタックするという姿勢が生まれる。

で、思うんですけど、

このやり方、悪くないと思います。

龍樹をこれから読もうと思う人に、この方法をお勧めです。

っていうのは、

龍樹の理論体系がずいぶんわかってきました。
いま、『中論』見てますが、わりとよく理解できます。註釈なしで、偈頌だけで。

『方便心論』をぜんぶ読み終えたとき、じつは、『中論』に何が書いてあるか、おおよそわかっていたのですが、
今のところ思った通りの展開になっています。

『方便心論』
『中論頌』
『廻諍論』

この三つはセットで扱えると思います。

龍樹知りたきゃ、この三つにかぶりつけ!

これがわたしからの愛のメッセージです。(「愛」だけ余計だってば)

やっぱり
「虎穴にいらずんば虎児を得ず」

といいますから

それにならうと

「龍穴にいらずんば龍児(樹)を得ず」

ということかにゃ。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

龍樹がらみだとどうしても真剣になる自分がこわい!
読んでおもしろい、「悪い子」龍樹の話でも、少し考えよ、っと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/03/18

今日は、辛(から)いです

龍樹関連の参考文献をあげてみましたが、いかがお過ごしでしょうか。

っという、文脈無視の書き出しで、ごめんなさい。

ここのところ、参考文献にあげました「龍樹もの」を読ませて頂いておりますが、かなり辛(つら)くなってきました。

たしかに、すぐれた研究ではあります。
得るところも大であります。

だけど…

一読者としてみると、読者のみなさんの不満が渦巻くのもわかるような気がするのです。

龍樹は、すごい!立派だ!すぐれている!「八宗の祖」だ!人々の尊敬を集め、論師としてしては最大級の人物だ!空だ!縁起だ!輪廻だ!涅槃だ!

というように、書かれていますが、そして、そのことを説明してくれていますが、

いくら読んでも

ああ、ホントに龍樹はすごい!

って気がちっともしてきません。
なんかペテンにかけられているような気がしてくるだけです。

ことばの対立を超えた不二の世界が、戯論寂滅なら、なんであんなに詭弁チックな論理を駆使しなければならないんでしょうか?最初から黙ればすむじゃん。


この質問に答える必要があると思います。


ゼノンの「アキレスとカメ」のパラドックスで、
「足の速いアキレスは永久にのろまのカメに追いつけない」という主張に対して、

論につまったある人は、じっさいにカメを追い抜いて、「どうだ!追いつけるだろ」と言った話もありますが、

それにならうと

「戯論寂滅、戯論寂滅」とさわぐなら、自分で黙れば戯論寂滅の世界を示すこともできように、
という気もしてくるわけです。

なぜ、そうしなかったか。そこが知りたいところでしょう。
なぜ、部派にちょっかい出したか?

なぜ?

そうしない彼の「やり方」、「方法」に、龍樹の卓越性があるのでしょう。

そして、

その「やり方」を示しているのが、わたしは、龍樹の「論理学」だと思っています。
だから、論理論理とうるさいわたしです。

これまでの研究は、非常にすぐれているけれど、龍樹の「論理学」についてはまったく述べられていないと思います。

なぜ述べられていないか?

龍樹の論理学に関するものを読んでいないからだし、龍樹の論理を探ろうという姿勢もないからです。

わたしがわからないのは、なぜ、龍樹の作品とされているものをどんどん読んで探ろうとしないのかという点です。
なぜ、後代の注釈者の意見ばかりに目がいくのでしょうか。
注釈者はみんな龍樹ほどの頭をもっているとは思えません。
龍樹の作品ぜんぶに通じているとも思えません。

水で薄めた牛乳と本物の牛乳と、どちらが好きですか?

龍樹を知りたければ、とりあえず龍樹のものとされているもの、何でも読んでみたらよかろうと思います。
ほんとに龍樹かどうか、ぜんぶ読んでから判断すればよいでしょう。

本物の牛乳をげっぷのでるほど飲んでみるのも悪くない、って思うんです。

それで、

これから、

牛乳飲むとこです。日o(^0^|)
(ほんとに飲むかね!)

ま、冗談さておき、やるべきことははっきりしてきたかと…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/03/16

伝説とフィクションと

うわっ!書いたのがぜんぶ消えてしまったい!
アップ寸前まできてたのになぁ。くぅ~!

仕方ないわ。

簡単に書くわ。

龍樹ものを書いてて思ったことです。

いろいろな本は、龍樹伝説はたぶんにフィクションだ!と述べています。
とうてい龍樹の実像にせまるものではない、とも述べています。


しかし、管理人は、そんなことない!っと言いたい。

これらのエピソードは、龍樹をよく知っている、そして、じっさいの行動ばかりではなく思想や哲学全体も非常によく理解している人が書いたものだと思います。

なぜなら、龍樹をホントによく知りたいと思って勉強してくると

この点どうだろ?

っと、どうしても知りたいことが出てきます。

この『龍樹菩薩伝』『付法蔵因縁伝』は、ちょうど知りたいと思っている当のことがらが、まさしくそこでタイミングよく述べられているのです。

すごく作品理解にも役立ちました。
エピソード3など、納得しまくり。

『方便心論』が龍樹の作だと確信したのも、『廻諍論』がブッダの論理の限界を示す作品だと確信したのも、このエピソードのおかげです。
あと龍樹が「一切知者」を名乗ったというのも、さもありなんという感じです。
自分でも、龍樹は一切知者だなぁと思ってましたから、
その言葉が出てきたときには、とても納得!


伝記は主観に満ちている表現にみえますが、それがかえって状況をよく説明してくれる。

このような主観的な表現は、じつはホントに知りたいと思う人には、すごく多くの情報を伝えてくれる

が、

おざなりに見ている人やフィクションだろうと頭から疑っている人には、ホントになんにも情報を伝えてくれない。

そういう書き方なんだと思う。
ホントに不思議なモンだわ。

一度消えたこと書くのって、けっこうつらいもんね。今日はこの辺で。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/03/15

何本足りないのですか、管理人?

「ココログにバグがあるぞ!おかしいな、直らない。
『……… アイディア、出でyあ』と、変なyの文字が入ってるぞ」

っと、夫。

「変じゃないよ。それでいいの。『イディア』と『出でよ』をかけたんだから。
(yは半母音なんだから、いいかなって、思って)」

「ええ~???掛けてる?変だぞ。わかりにくぅ。
それに『龍樹!どんな人?』で、『ナーガ』は『ヘビ』じゃないの?」

(※このとき「『ナーガ』は『龍』のこと。」と説明していました。今はもう直ってます。)

「うん、『ヘビ』とか『象』の意味もあるけど、龍樹の名前の説明なんだから、いいかなって、思って」

「ええ~?…」

っと夫。

なんだ!あの「ええ~?」のあとの「…」は。
ひょっとして、あきれてるのですか。

気になる!
やっぱり直そうかな、って、思って、「龍樹!大好き」にいって直したついでに、「龍樹!どんな人?」を読んでて、気づきました。

あら!
肝心のちょー肝心の、「大乗仏教中観派の開祖」の説明がどこにもなかったわ。

いやはや、これじゃ「どんな人?」だか、わからんわね。

一番おいしいところを最後に食べるタイプだって、ばれちまったかしら。
大事なところは、あとに残して…って、思ったら、それをぜんぶ落としてしまいました。

最後に、思いついたように書き足してあるのが、「一番大事な」龍樹の説明です。

ほん~~っと、わたしって、抜けてる!
前からわかってたけど、さ。

なにか気づいたら、教えてね。
ぜったいよ!社交辞令じゃないから、まじめにあらさがして!本気でおねがい!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/03/13

……… アイディア、出でyあ

本気出しましたね、雪です、雪。
30センチはつもったでんでしょうか。

1メートル58センチの身長で、3メートルくらいまで雪をはね上げて積むのは、キツイでござる。
30分くらいしかやってないのに、キーボード打ってても、もはや手が震える。
筋肉痛になるかなぁ。

さて、昨日は、論文がはねたので、うれしくなってウキウキ今後の身の振り方を考えはじめる。

HPも気になりはじめる今日この頃。
だいたい、このサイト刺激にとぼしいと思う。
非凡さに欠けるし、読者にサービスするという精神にも欠ける。
まじめさにも欠けるし、そうかといって、おもしろさにも欠ける。
ロマンにも欠けるし、ウィットにも欠ける。
学問性にも欠けるし、大衆性にも欠ける。
夢にも欠けるし、希望にも欠ける。…そこまで言わんでもええか。

ふうむ、ないものだらけですわ。
そこで、他のサイトの見分に出かけるのでありました。

モチ、「龍樹」「大乗仏教」で検索。

ほお、すばらしい。みんなまじめなサイトばかりだわ。
仏教を信じている人のサイトが多いので、とても学問的で信心深く清らかでまじめです。
けっこうむずかしいことが平気で書いてあって、レベルの高さを感じてしまう。
サイト立ち上げるくらいだもんね。

帰って、さっそく、わたしも真似して、
みんなが感動でむせぶような学問的でまじめでお役立ち感いっぱいの「龍樹情報」を載せようと、
意気込みかける。

ところが

(おっと、まったぁ~!)

という、声がする。

またかい!
ぜったい、出てくるんだわ。

(「まじめ」は、おめぇには似合わねぇ。つまらんぜ。
「まじめ」なのが読みたい人は、もっと「まじめ」なサイトに行くに決まってる。
どうせやるなら、とことん変なものにしな!
誰も来なくなるような。)

どうして、こういう誘惑に負けてしまうかなぁ。
誰も来なくなったらさびしいけど、この誘惑も捨てがたい。

トップに「インド論理学並びにインド哲学研究者のためのサイトです」という

あやしい看板が掛かっているから、カモフラージュにはなると思うわ。
ちょっと見た目には深淵っぽいかもしれないし…ぶつぶつ。

頭の中は、

おととい見つけた、龍樹のメモ・ファイル(「はしをとおるな」参照)がよみがえる。

これとパラドックスを組み合わせてっと、なんかできないかなぁ。

 


 …………

なんか考えてるから、期待しないで待っててね。

時間がなくならないかぎり、なんかしようと思うけど、時間切れだったら、またの機会にということになるわね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年3月6日 - 2005年3月12日 | トップページ | 2005年3月20日 - 2005年3月26日 »