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2005/12/05

アビダンマは豊饒の海!

ほんとに、すべり込みセーフ!っという人生だわ。

今朝やる試験問題、昨夜ようやくメールで送る。
で、今朝、届いてないという電話に、発狂しそうになる。

勘弁よ!結局、無事届いていることがわかって、ホッ!

これで片づけた仕事は、三つ。やれやれ。

とりあえずは、目前の仕事のこと、考えなくてもいいのかな。
いいようね。
  
では、書きたいと思っていたお話を、ちょっくら。

  ………ほんとに大丈夫だよね、
      今日明日の仕事はないよね。

ああ、この強迫観念、なんとかしたいぜ!

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、掲示板でもばれてきておりますわたしの弱点

(たくさんありすぎ、どれのこと?)

たくさんなんかないわよっ!
一つだけよ!

 ……ぶっきょ、これだけだから…うう

しかし、弱点としては、十分すぎる!

中でも、「本気で」苦労してるのが、部派のアビダルマ。

龍樹は、部派の基本思想を批判したのであって、
これこれの文献にもとづいて批判した、っと言うことはない。

このようなことは、前々から言われてきたことです。

たしかに、部派のどの論書を見ても、ピッタリ来るところは見つからない。

…、っと言いたいが、

じつは、どの論書見ても、何かいてあるのか「本気で」わからん!

『八けん度論』(「けん」は、けものへんに建)、『発智論』
あとは、いわゆる六足論のたぐい。

読んでると眠くなる。

仕方ないので、先学の研究書を読んで知識を吸収。
どうして、こんな無味乾燥とした中から、
こんな豊かな研究が生まれるんだろうと思うくらい
優れた研究がたくさんある。うっとりしちゃう。

だから、わたしがわからないだけで
「きっと、アビダルマは、豊饒の海なのだ」
っと思っていたのだった。

そう思う理由は、まだ他にもあった。

あの『チャラカ・サンヒター』、
あの中にもアビダルマの知識らしいものが、けっこうはいっている。
哲学的な議論もさかんだし、
医学書にしておくのは惜しい(というのも何だけど)。

龍樹が、あえて否定したもの、
あんだけ力こめて否定したもの、
それは否定するに足るだけのもの

「知識の宝庫」を作り出してきた智恵の数々、理論の数々だったろう。

それらの理論は
わたしたち凡夫の世界では
「有益な知識」と言われるものを、
もたらしてきたのだろうと思う。

仏教心理学
医学の知識
経験科学

役立つ知識満載の感じがする。

これらを生みだす元になったのが、
おそらくアビダルマだろうと思われ。

ハァ、知りたいもんだわね、って思ってたのよ。

そしたら、望んでいたものが望んでいたとおりに
手にはいっちまったわ。

(枕が長いぞ!さっさと紹介せんかい!)

スマナサーラ長老さまと藤本晃先生 『ブッダの実践心理学』

お勧めしとく!

『アビダンマッタサンガハ』という論書に対する、
スマナサーラ・藤本氏による現代人向け「注釈書」です。

この書は、『アビダンマッタサンガハ』のコメンタリーとして、
今後、上座部の伝統の中に位置づけられていくわけですね。

しかも、日本語だかんね。すごいよね。
ふつうなら、ありえないことだ。日本人専用のコメンタリーなんて!
「その土地の言葉を使いなさい」といったお釈迦さんの言葉を守っていますよね。

この特権をありがたく活用しましょう。

パーリ・アビダンマの中に何があるのか知りたい人には、

とてもすばらしい入門的専門書、というか、本質的専門書だと思います。

「本質的専門書」って変かな?

現代風にアレンジしてあるのも、わたしたちにはわかりやすいですね。

学者の研究書とはひと味ちがうけど、
 「生きてる」 アビダルマを知りたい人には
ぜったいお勧めです。

およそ2000年以上、
部派仏教が、人々の中でどのように生きてきたか、よくわかる。

「来たれ、見よ」の教え(ダンマ)の伝統を受け継ぐものです。

ふう!すごいもんだ。

と、感動ばかりでは、いけないわね。

これで『八けん度論』読んでも眠くならないにちがいない。
感謝!感謝!

それにしても

こんなすごいものを批判してたなんて!
やっぱ、龍樹ってすごいわね!

(って、どうしても、最後は龍樹にいくのね、管理人!)

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コメント

春間さま

>アマゾンで調べたら、見たことのある本でした
>(と言うより、私の蔵書でした)

なんだか、わたしのことのような(笑)。
もってないと思って、さんざん苦労して図書館で借りてきてみたら、本棚の隅に眠っていたりします。
もう、誰にも言えない、、と思いながら、こんなところに書いてますが(笑)。

ブッダは、その伝道生活中一言の教えを説いたこともなかった。

この思想は、龍樹の『中論』にもありますね。
論理的にいいますと、わたしの言葉では「体系が閉じている」ということと同じだと思っています。
『入菩提行論』の如意宝珠のたとえを用いた表現は、とてもすてきだと思います。

投稿 管理人エム | 2007/02/06 09:14

> 山口益氏『空の世界 龍樹から親鸞へ』大法輪閣のなかにあった

アマゾンで調べたら、見たことのある本でした
(と言うより、私の蔵書でした)
読みかけで、置いてあったのです、
しかも、しおりは、108p 7真如と禅定仏の手前でした(109p見てみてください)

ですから、入菩提行論の記述は、目を通していたことになります
( ったく、いい加減な読み方の奴 ! )

綺麗に読まれています(用語が難しくて、批判ができなかっただけ、、、)

一応、恥のようなものをご報告しておきます

投稿 春間 則廣 | 2007/02/05 23:43

春間さま

きっと『菩提行経』は、春間さま好みだと思います。
とても美しいです。きれいな表現ですが、しっかりと仏教の理論をふまえていてなkなかすばらしいですよ。

>> 如意宝珠という宝石があって、、、、、
> これは、そこから持ってきているのでしょうか

そうです。ええと、9.36偈です。
わたしが見てるのは、中村元氏『現代語訳大乗仏典7 論書・他』(東京書籍)です。
金倉先生のはもっていないので、わかりません。
中村先生のも、遺稿をまとめたもののようですので、欠けている章があったりします。

じつは、この個所は、山口益氏『空の世界 龍樹から親鸞へ』大法輪閣のなかにあったのを、ちょっと拝借しました。(p.85-6)

如意宝珠ですが、このサイトの『マニカナ』の「マニ」とは、如意宝珠のことなんですよ。膨大な「タットヴァ(真理)・チンターマニ(如意宝珠)」という本を、簡潔に概説した手引き書で『マニカナ』(カナは「小粒」のこと)という本があるのですが、この名前をサイトにつけたのです。

投稿 管理人エム | 2007/02/05 00:07

>『入菩提行論』の言葉にあるような感じですね。
>ブッダは45年間、常に三昧にあり、ほんとは黙然の状態にあった。

まもなく国訳一切経の、『菩提行経』が届きますので、読んでみます
『入菩提行論』は、読んだことが無いので、なんともいえません
WEBで観ると、ダライ・ラマ が取り上げているようですが
金倉円照の訳があるようですが、良い訳があるようでしたら、
教えてください

>如意宝珠という宝石があって、、、、、

これは、そこから持ってきているのでしょうか

>顔と毛髪と頭のてっぺんから、仏音が出るのを聞いたのである

素晴らしい表現力ですね、まさに言葉とは、
そのように聞き、
自ら話す事を、知っている人の言葉ですね

投稿 春間 則廣 | 2007/02/04 14:30

春間さま

> それを、如来の言葉と、呼ぶのは自由ですが、
> 如来の語る言葉が、如来の言葉で、
> 聞き伝えは、煩悩(執着)の言葉です

『入菩提行論』の言葉にあるような感じですね。
ブッダは45年間、常に三昧にあり、ほんとは黙然の状態にあった。

如意宝珠という宝石があって、それは動かないのだから何も与えないのだけれど、人は願いに応じて宝石から何でも受け取るという、それとおなじように、

ブッダは何も言わないのであるけど、人が求めるとき、ブッダの顔と毛髪と頭のてっぺんから、仏音が出るのを聞いたのである。

少し似ているかな?

投稿 管理人エム | 2007/02/04 12:55

エム 様

すみません
あなたに理解していただけない言葉なら、
私にも理解できていない言葉なのです

釈尊とは、“ 友 ”ではなく、
同じところに立つ事を放棄した立場からの“尊(損)”称です
大乗の言葉は、大まかに言って如来の言葉だと思います

出定の“ゴ”とは、語であり、後です
( 蛇足ですが、富永仲基をお読み下さい )

人称の混乱は、ここに如実に現れているという実例です
(ここでの、この私の、現在です)

ゴータマ仏陀は、如来であり、その言葉は、
友によって、如来の言葉として語られ
その記憶(記録)は、出定後語として、大乗の言葉となるわけです

それを、如来の言葉と、呼ぶのは自由ですが、
如来の語る言葉が、如来の言葉で、
聞き伝えは、煩悩(執着)の言葉です
(禅定、瞑想が、必須なのです)
唯仏与仏は、ここのところを、表す言葉です

投稿 春間 則廣 | 2007/02/02 16:37

春間さま

> 各地に、分かれて教えを広めた、“ 友 ”たちは、
> 釈尊の言葉(法)を、正しく理解して、自らの言葉に置く限りは、
> 等しく、awakened one だったのではないでしょうか

ふうむ、なるほど。そこまで、考えて、ブッダは「ブッダ・ヴァチャナ」といったかもしれませんね。

わたしが「法」はやっぱりまずいかなと思いましたのは、「法」は、「教え」という、限定された意味をもつ言葉を指すのではないかと思ったからです。

いろんな人に会って、いろんな質問を受けたり、いろんな話(世間話という意味ではないですが)をしたりするので、いつでも「法を説く」ということにはならないから、こういったのかしらと思いました。

> 仏陀は、常に三昧の中で言葉を語ったのでしょうが
> その場合は、如来であり続けます

そうですね。

> 出定のゴであれば、少しニュアンスが違います
> これは、等しく大乗の言葉です(釈尊の言葉です)

「これ」とは? 出定の後?
大乗の言葉は、「如来」の言葉というわけではない?
管理人は、よくわかってないかも。。。

投稿 管理人エム | 2007/02/02 15:58

管理人 様  (またズレ 春間 より)

>人称が混乱しているのは、英訳のことでしょうか

混乱しているのは私の ホウ かも (? アがつくかな) 

speech of awakened one 
複数存在する仏陀(覚者)が語る言葉ととれば、問題なしです
ブッドゥ(S)の言葉ととっても同じです
“ I ” allow、、、、
この場合は、ゴータマ仏陀の言葉でしょう
(釈尊 - 南伝大蔵経)

ブッダは、自らを如来と呼びましたが、ここの場合は、
少しニュアンスが違う場面だと思います

いずれにしても、ゴータマ仏陀の死後には、
仏陀が現れていないとされているのですが、、、、
(ここでやはり、ゴーディカが、引き出されるのです)

釈尊が、どのように捉えていたかは、推測になりますが、
各地に、分かれて教えを広めた、“ 友 ”たちは、
釈尊の言葉(法)を、正しく理解して、自らの言葉に置く限りは、
等しく、awakened one だったのではないでしょうか

律蔵(他)は、サンスクリット(パーリ)に書き記されたのは、
入滅後なのですから、、、

仏陀は、常に三昧の中で言葉を語ったのでしょうが
その場合は、如来であり続けます
出定のゴであれば、少しニュアンスが違います
これは、等しく大乗の言葉です(釈尊の言葉です)

私は、学者ではなく、細かく説明しません
解る、感じる 人だけに、語るだけです

投稿 春間 則廣 | 2007/02/02 14:37

ごまさま 

いろいろご紹介くださってどうもありがとうございました。
インターネットはすばらしい!
まったく使いこなせてないことがよくわかりました。

書き込むときに、何か英語と数字のなぞの文字を入れなきゃならなくなってますね。メール・アドレスもいるのですか。
管理人だとメール・アドレス入れなくてもいいみたいですが、なぞの番号入れずに投稿したら、受け付けてもらえませんでした。いつから、こうなったのかな?

春間さま

たしかに英訳から受けるイメージというのは、日本語の文とはちがいますね。
「仏語」だとおだやかです。

人称が混乱しているのは、英訳のことでしょうか。

投稿 管理人エム | 2007/02/02 11:56

ブッダ・ヴァチャナ(ブッダの言葉)

私は「法」が、良い意訳だと思います

「仏語」もだいぶましだと思いますけれども

パーリ原典が、何を意味してその言葉を選んだのか、、
いずれにしても「出定後語」です
”寂滅後語伝承記述”でも良いくらいです

私には、南伝大蔵経にある釈尊の原語が分かりませんので、正確なことが言えないのですが、
この小品の文章は、人称を、混乱させていると思います

投稿 春間 則廣 | 2007/02/01 13:52

管理人さま、春間さま、レスありがとうございます。

出典はそちらのことでよかったんですね。
ありがとうございました。

春間さまのおっしゃっている背景について、
同じページのもう少し上の方
http://www.accesstoinsight.org/lib/authors/thanissaro/bmc2/ch08.html#teaching
でも触れられているようですね。

英語のサイトについて、ほかにもたくさんあるようです。
すでにご存知のものも多いかもしれませんが、もしご参考になれば。
私もときどき利用させていただいております。

BuddhaNet
http://www.buddhanet.net/

Abhidhamma.org
http://www.abhidhamma.org/

Vipassana Research Institute
http://www.vri.dhamma.org/

Dhamma Study
http://www.dhammastudy.com/

Zolag
http://www.zolag.co.uk/

最後の2つのサイトで多数読める、Sujin Boriharnwanaketさん、Nina van Gorkomさんのお話が、私には大変ためになっております。

追伸
メールアドレスを書かないと書き込めないようなのですが、書くとスパムが届くようになってしまうので、ダミーの文字列をあてて送信しておりますことをご了承ください。

投稿 ごま | 2007/02/01 13:46

春間さま
> speech of awakened one ですから、
> 釈尊が、自らのことばをそう言うと、少しおかしいので
> ”法 ”のほうがよいのかもしれません
> パーリ原文に当たらなければ分かりません

無意識に「法」を書いてしまいました。
正しくは「法」ではなかったです。すみません。
原典あたったら、ブッダ・ヴァチャナ(ブッダの言葉)となっていました。speech of awakened one は、まんま直訳ですね。

そうそう、サンスクリットを母語とする人は、1961年次の国勢調査で、2542人、1971年次で2212人だそうです。小西正捷氏『多様のインド世界』より。資料がずいぶん古いですけど。


投稿 管理人エム | 2007/02/01 13:30

解釈の自由が許される箇所かもしれませんね
小品33-1 バラモン出身の兄弟が釈尊に願ったとあります
色々な階層が僧伽を形成していて、
その仏語(南伝大蔵経ママ)を一定の雅語に訳したいと願い出たことです
(釈尊は”各自の使用言語を以って習うことを許す”と言ったようですから)

speech of awakened one ですから、
釈尊が、自らのことばをそう言うと、少しおかしいので
”法 ”のほうがよいのかもしれません

パーリ原文に当たらなければ分かりません

現在のインドに於いても、日常言語をサンスクリット
としている人が、多数(?)あるようです
彼の兄弟は、それを用いていたかもしれません
釈尊の語る言葉(マガダ語?)を、
自らの日常使用言語で学びなさい(学んでよろしい)
(当然翻訳して)というくらいの意味でしょうね
一つの、固定した雅語にしてしまわないように
という配慮では無いでしょうか

 (また少し、 ズレ たかな)

投稿 春間 則廣 | 2007/02/01 12:46

ごまさま

こんにちは。
おっしゃるとおりでよいと思います。

『ヴィナヤ・ピタカ(律蔵)』の「小品」の5.33.1にありますね。

たしかにお釈迦さんは「自分の使っている言葉(方言)で法を暗記しなさい」と弟子にいっています。

中にあります「(サンスクリット?)ミーター(meter)」ですが、これは「韻律」のことですね。訳した人は、サンスクリットの荘重な詩の形を考えたのでしょう。
サンスクリットは、雅語だから、そう訳してもいいかな。

ところで、この英訳のサイトいいですね。よく知らなかったので、あれこれ覗いて楽しんでしまいました。
よいものを教えていただいて、ありがとうございます。

投稿 管理人エム | 2007/02/01 11:38

はじめまして。
突然に申し訳ありません。

お釈迦さまが「その土地の言葉を使いなさい」とおっしゃっている、という出典について、教えていただけるでしょうか。

自分で調べてみて、↓ここのことかな?とも思ったのですが、今ひとつ確信がもてなかったもので・・・。
http://www.accesstoinsight.org/lib/authors/thanissaro/bmc2/ch08.html#teaching-rules
("Teaching Dhamma"の最後の一節です)

突然なお願いですみません。
いろいろお手を煩わせてしまうようでしたら結構です。
よろしくお願いします。

投稿 ごま | 2007/01/31 22:42

Ajitaさま
わざわざありがとうございます。
「くらくら」という言葉、かなり実感されますね。

元になる『アビダンマッタサンガハ』も、ゲットし、こちらもくらくらしながら、食らいついています。
願わくば、「くらくら」が「らくらく」になりますように!

第二巻以降も、期待大です。藤本先生、がんばってください。


投稿 管理人エム | 2005/12/07 00:15

トラックバック拝受。『ブッダの実践心理学』をご紹介いただきありがとうございます。ルーパにあたってくらくらしたところで、全6巻のうちまだ1巻。スマナサーラ長老による本格的な「実践心理学」講義が展開されるのは次巻からです。藤本先生がまとめ中の次の原稿が僕も楽しみです。では、お幸せでありますように。

投稿 ajita | 2005/12/06 12:02

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