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2004年11月21日 - 2004年11月27日

2004/11/27

空と中とくれば…

なに?
空中分解!だってぇ~!

縁起でもないこと言わんでよ。
お、しまった。答えをいっちまったい。

そう、「縁起」です。

空とくれば龍樹、
中とくれば龍樹、
縁起とくれば龍樹…ってわけでもないかな。
縁起はお釈迦さんのもんだもんね。

この三つの言葉は仲良し兄弟。だんご三兄弟のように、串でつながっていて、ほとんど一緒のもんです。
だから、1個食べるとあとの2個もくっついてくるのよ。

さて、さて、久しぶりに龍樹の本が出ましたね。

瓜生津隆真博士『龍樹 空の論理と菩薩の道』大法輪閣

『大法輪』という雑誌に連載した永年の研究成果を一つにまとめた大作です。
わたしとしては、「空の論理」もですが「菩薩の道」の方に興味がわきました。

龍樹の研究書を読んだり、アビダルマの研究書を読むときは、少し前から他の研究書を読むときとはちがった読み方をしていることに気がつきました。
実際のところ、書いてあるさまざまな知識はもうそんなに真剣に読んでいないのです。
乱暴なことをいうと、そんなところはどうでもいいような気がするくらいです。(というのは極端ですが)

ただ、著者が一番引きつけられたところはどこか、とか、著者がつかんだ真実は何なのか、とか、著者の言葉で一番光っているのはどの言葉なのか、とか、ほとんど書いてない部分、つまり、行間を読むのに必死になります。

つまり、瓜生津博士の龍樹って、どんなだろ?という興味ですね。
何かそこに真実があると思うんですよ。
やっぱり仏教書は仏教書の読み方がある…って思う。

ところで、最近、言葉だけが上滑りしている本や論文て、読めなくなってきたなぁ。

ブッダも言ってるよね。

 名称で表現されるもののみを心の中で考えている人々は、名称で表現されるものの上にのみ立脚している。名称で表現されるものを完全に理解しないならば、かれらは死の支配束縛に陥る。

 しかし名称で表現されるものを完全に理解して、名称で表現をなす主体が〔有ると〕考えないならば、その人には死の支配束縛は存在しない。その人を汚して瑕瑾(かきん)となるもの(煩悩)は、もはやその人には存在しない。(中村元『神々との対話』三三~三四頁)

いや、まったくほんとだな、って思う今日この頃。

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2004/11/26

究極の自己中

今日も一日、無事すぎました。ありがとうございます、かみさま、ほとけさま。

というのは

今日の占いによれば、仕事運1,恋愛運1、金運1だった。
うれしそうに夫が教えてくれました。
最近、よく占いのところを見て教えてくれるのです。

しかし、前に仕事運5,恋愛運5,金運5の日があったけど、今日と全然変わらない人生だった。

恋愛運5なのに、なぁんにも起こらなかったっ!
1円玉一つ道に落ちてなかったっ!
仕事もめいっぱいあったっ!

運だけは、5だった。現実とは別に……とか言ったら、怒るから。

さて、ところで、今年の学生さんは、いろいろな出来事について偶然か運命かの判定には、偶然と割り切るより運命と考える人の方がやや多いことがわかりました。。
たとえ偶然と理解したとしても、偶然も運命のうちと見る人があんがい多いのにはちょっとビックリ。

数年前は絶対、偶然派の人が多かったけど。
不安な世相を反映してるんだろうか。
それとも、天変地異の多いせいもあるのかな。

過去を見ると、人は運命論者になり、未来を見ると、人は自由意志論者になる。

どうかなぁ。そうとは限らないか。

過去を見ると自由意志論者で、未来を見ると運命論者、ってのもね。
つまり、過去は勝手なことばかりやってきたけど、未来を見れば先行き決まっていて夢も希望もない、ってことになるのか。

ううむ、さびしい。しかし、この人生、まさしくわたしの人生だわね。
過去をふり返ると、ほんと好きなことやってんなぁ、と思うわ。
未来を見れば、もう運命的にこれと決まった人生しかないんだから、何をやってもいいんだ、好きなことやれば、それがそうなる運命なのだ!という、とんでもない理屈で生きてきたものね。

これ、究極の「自己中」の人生じゃなかろうか。

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2004/11/23

火宅の人なんです、あちっ!

だいぶお尻に火がついて焦るべき状況になって来たのですが、
どうもさっぱりおみこしがあがりません。

何かといえば、論文の準備ですが。
ううん、はぁ、…、まあ…いっか、という場合ではないっ。

しかし、どうもあれこれ浮気をしてしまう。

ヨーガの人に、小説『旧約聖書』というのを借りる。
貸してくれた人曰く
「『旧約聖書』なんて、身近に感じられないし、よそよそしくてわからないと思っていたけど、この本読んだらね、小説だから、登場人物が本から立ち上がって歩き出すの。二次元の世界だったのが、三次元のわたしたちの世界の中のできごとになって、すごく身近で、とてもおもしろかった。」

うまい比喩だなぁ。「立ち上がって歩き出す」ね。
そこで、昨日ですが、通勤の時読んだら、おもしろい!
まだ、最初の方しか読んでないけど。
で、がっこに着いても集中できずに、いろいろ授業前の準備の時にミスばかりする。
授業も何か変だった…らしい。
終わったら、どっと数人質問にきたもん。ううん、すまん。みんな。

昔、『旧約聖書』の登場人物を最初から暗記しようとして途中であきらめたことがある。
いっぱい出てくるので、誰の子が誰だったかわからなくなってしまうのだわ。
それに、人の名前なんかだんだんどうでもよくなってくるし。

だましたり、だまされたり、という人間世界でありながら、しかし、かわした契約は絶対なのが興味深い。
神さまとの契約というのも、よく考えたらすごいよね。
問答無用に契約かわすことになるんだわね。「いやです」と言えない雰囲気で話が進んでいくもの。

どんな嘘つきのように見える人でも、絶対に嘘をつかないところがある。何十年経っても約束は有効だったりする。
さすが、聖書だなぁ、と変なところで感心する。

人々の真実がどんなところにあって、どんなところでならば嘘をついたりできるのか、勉強になりますわ。
インドの社会を思い出してしまう。
インド人も嘘をついたりだましたり、けっこうしているんだけど、絶対嘘をつかないところがある。
バラモンは嘘をつかないと言われるし。

真実のあり方が、どうも日本人とちがうようだ。
どこら辺がちがうのか、少し読みながら考えよっと。

ああ、やらなきゃならない義務のあるときに限って、いろいろ関心を引くような魅力的なできごとが次々でてくるんだわよ!
世の中って、どうしてこうなんでしょ。

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2004/11/21

インド!

しばらくぶりに、インド!インド!を感じてしまいました。

ヨーガのみなさんにインド哲学関係の話しをするのですが、最近のインドを知らないわたしは、ちょっと勉強してました。
人口が10億超えたというニュースをやってたなと思っていましたが、な、なんと、2001年の調査で10億2702万人になっていたっ!人口増加率1.8%だって。これって、多いの?ネズミより?

すみません、ネズミと比べたりして。
あ、もしかして、ネズミにごめんなさいと言うべきなのか。あ、あ、ほんとごめん。もう言いません。

ヒンドゥー教徒が82.7%ね。すごいです。世界宗教だっつうの。
識字率、65.4%。よしっ!もう少しがんばれ!

それにしてもほどなく中国を抜いて人口が一位になるだろうと言うことを聞きましたから、まずは、仏教を生んだ国、知恵と勇気の支配する国、インド、そこに住む人々に、ある意味、これからの世界について期待したいが…。

このような戦乱の世になると、偉大な知性を求める声が大衆の中からわき上がる(はず)なのですが、それに応える人が出てきそうなところといえば…。

最近のインドはどうですか。むずかしいですか。ブッダ出ませんかねぇ。

なんて、話しをしようと思っていたら、最初の出だしをまちがって、世界地図の話しから入ってしまいました。
したがって、一生懸命調べた上の話しはまったくすることなく、家に帰ってきてから「あれ?話し忘れた」。
作ったノートは飾りになってるぞ。
まったく何やってんでしょ。

ああ、でも、自分でインド哲学史を概観できてよかった。めちゃくちゃいい加減な哲学史だったけど。
インドは、お釈迦さんさえおさえておけば、だいたいいいです、っといいながら、ついでに

下宿人さまの『ブッダの考えたこと』

もご紹介してきました。

ときどきインド哲学を概観して、その研究の発展ぶりをチェックしなくちゃと思うのだけど、ダルシャナ(いわゆるインド「哲学」)系統では、あまり目立った動きが見あたりません。調べ方が悪いのかもしれないですが。

こういうまるきりわたしの専門と関係ない勉強しているときにも、じつは『方便心論』はとても役に立つ。昨日の知識も大半そこから得たものだし。とくにインドラの話しなんか。

って、言うと、みんな「こいついったいどんな話ししてるんだ?」って思うよね。

うん、我に返ると、自分でもそう思う、まったく!

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