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2004年10月24日 - 2004年10月30日

2004/10/30

睡眠不足の一週間

今週は4時起きが多かったので、夜になると勉強してても意識不明になることが多くてまいっちまった。
昨夜はすでに10時前にダウン。

いつも金曜日に日記が書けないのは、哲学の授業でわたしも学生も消耗するからだと思う。
後期は、「言語」をテーマというより、合い言葉にやってるんだけど、みんなとまどってる。

「ドラゴン」「ペガサス」は想像上の動物だけど、この言葉で言い表されるものはあるのかないかというようなことを聞いてみんなを混乱に陥れたついでに、「まるい三角」や「カラスの歯」の話しをしたついでに、わたしの知ってる科学説フロギストン説を話したついでに、みんなにテストを出した。

数字の「1」「2」「3」…は、何を表してるのか。それが示すものはこの世界の中にあるのかないのか。
科学理論が必要とする言葉「素粒子」のような言葉が表しているものはあるのかないのか、って決まるのか?

完全にみんな固まってる!
ほんと。お地蔵さんみたいになっちゃった。
全体灰色で目が点々。鉛筆にぎってそのまんま。

すごくよくできる子がいるんだけど、1行書いては消し、じっと考え動かない。先週から動かないんだけど。
チャイムが鳴っても思いついたように書いては消しをやっていて、時間すぎてようやく2行書いて出してくれた。

OKだよ!
そんなもんだと思うよ。
たくさん考えてるときは1行も書けないものだし、たくさん書けるときはほんとの意味で1行も考えてないものだ。考え終わって書くものだからね。

こういう学生諸君の苦吟する姿をながめていると
自分もいつもこんなすがたなのかな、って思う。

まっこと、「はじめにロゴス(論理、言葉)ありき」なのであります。

問題は、論理と言葉、どっちが先か、ってことだろうか?

ニワトリと卵だなぁ。

論理がなければ言葉は生まれない。
言葉がなければ論理は表せない。

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2004/10/28

去るものは日々に反省するサル

どうかな?
って、何が?

反省ザルを見習う管理人です。

まず、この「ココログ」というウェブログ、どうかしら?っと、さっそく反省開始!
管理人的には、書いてる立場としては便利だと思うわ。
いちいちタグ入れなくてもいいし、あっちにファイル移動したりこっちにリンク貼ったりしなくていいから楽だわ。
だけど、この書いた分どうなっていくのだろうか。
ほっといていいのだろうか。
勝手に消えてくのだろうか。
いずれ自分のとこに保存しなけりゃいけないのだろうか。

っと、いろいろ心配になるのですが、面倒だから考えるのをやめてどうなるかただ見届けることにする。
成り行きまかせっ!です。(反省はいずこに?)

それより、もう少し考えなければならないことがあるのだ、反省ザルもどき、としては。

管理人の来し方行く末を見るに、「来し方」としては昨年から今年にかけてけっこう仕事をしたと思う。
論文も自分としてはまずまず成果をあげた……あ、わかったわよ……ような気がする、って言っとくわよ。

だけど、その成果が、まるっきり、これっぽっちも形になっていない。
昨年書いた論文が載るはずの雑誌は、まだ出る気配すらない。
博士論文も宙に浮いている。論文自体はまずできているのだけど。そして、これはどうなるかわからない。
ほかに、今年発表の研究も、まだそのまんま。かりに書いても、雑誌が出るのは再来年だし。

今年は、現実にはあくせく論文書いて暮らしていた。
けっこうたいへんだったような気がする。(今年終わってないっつうの。)

でも、この分じゃ、今年終わってみると「研究成果、何もなし」という年になりそうだ。
何もしなかったに等しい…ってのは、さびしい!(お、反省する気配が…)……が仕方ない。(やっぱり、反省になっとらん。)

実際は、こんなに成果があった年というのはめずらしいくらい豊作だったのだった。(過去形で語るところが反省風。だけど、まだ、今年終わってないって。)

唯一、発表したのが、このサイトに『方便心論』の和訳を註付きで載せたことぐらいだ。(ぱちぱち、賞賛も反省のうち。)

思いますのに、管理人の研究のスピード(速い)と学術世界のスピード(遅い)とがあってないのだと思う。(これって、反省になるのか?ただのイヤミじゃないのか?)
…っと、分析したところでどうなるものでもないので、あんまりスピードに格差が出てきたら、そのうち、このサイトに勝手に論文載せようかな、っていう気も最近しているのです。(反省というにはあまりに……勝手な)

インターネット・サイトというのは、そういうためにあるんだとも思うわけ。どう思う?(やっぱり、管理人に反省ザルは無理みたいね。)

よし!今年の反省をしてしまったので(どこが!?)、今度は「行く末」の方も考えなくちゃね。
いずれ来年の計画も考えてみるわ。

他に先駆け、反省するサルを見習う管理人の反省風景でした。(ったく)

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2004/10/27

ありゃ、雪だ

昨夜遅くから吹雪いておりましたが、今朝もやっぱり吹雪いておる!真っ白け。積雪7センチだってよ。

こうなると朝は戦場だっ!子供をたたき起こして、たたきおこ、おこして、おい、おこして、ふう、起きない!いつものことだけど。
冬靴奧から出して、コートを探し、帽子を引っぱり出し、手袋どこだ!あ、もう自転車だめだかんね。車も冬タイヤにしてないから、車もダメ。一気におそう難行苦行って、かんじですわい。

雪国では、冬はこのようにいつも突然やってくる。雪の降った朝が「冬」スタート地点です。

さて、寒い。新潟も寒いだろうなと思う。きのどくだ。

そこで、寒いので、昨日のナーガールジュナ(いいにくいので龍樹にするわ、次から)のことを考えて、少し暖まることにするが、考えていくと暖まるどころかもっと寒くなりそうな気がしてくる。

つらつら考える。どうして龍樹って、こんなに誤解されてるんだろ。というか、正しく理解されてるのほとんど見たことない。
管理人が基本的に正しいと思う、梶山博士の書いた本はあんまり読まれてないみたいだし。

「空」というと、「虚無」だと思うのかしら。要するに何にもないってことだと思うのかな。ちがうのよ。そんなこと言ってないって。「言葉を超えろ」みたいなこと書いてる人もいるけど、言葉超えたら何にも言えないじゃん。
龍樹みたいな口から先に生まれた男が、自分でもぜったいできないようなこと言うわけないでしょ。
ま、「言葉は空だ」というときには、みんなの考えとは逆に、龍樹自身もっとも自分で言葉を使いやすく定義してると見た方がむしろ正解に近いと思うわ。
あ、でも、誤解しないでね。龍樹は自分のために『空』という考えを持ちだしたんじゃないのよ。それは、お釈迦さんの正しい理解のためだから、ね。

あらゆるものは、他を縁としてなりたっているから、本体をもたない。本体をもたないから空だと言ってるだけだわ。
それもね、他の人は「から」というのにやけにこだわる。本体をもたないから空というが、空だから本体をもたないという表現はない、って言ったりするのを見ることがあるけど、こだわるところが間違ってるような気がするわ。

つまりね、
「『空』って言葉は、じっさい空なんですわよ、空って言う意味わかります?『本体をもたない』ということを言い換えたものにすぎない、ってことよ。『本体をもたない』ってことは、他をよりどころにしてなりたってるってことね。
簡単にいっちまえば、これらは、みんな同じことを言い換えてるんだわよ。全部同義であるということだわ。」

これが間違ってると思うなら、全部龍樹の作品読んで、この解釈にあてはまらないとこ見つけだしてほしわ。見つけて教えてほしいもんだわっ!ぐわっ!(こ、こわい)

で、でも、見つかったら?

なにぃ!みつかるというのっ!しつれいな……みつかったら…みつかったら、え、そりゃ、もち、あやまるわよ。

って、最後がトーンダウンするとこが、管理人の弱いとこなんだけど、だけど、これはね、ほぼ確信ある。『廻諍論』の最後に、空性と他による生起は意味が同じとあるわよ。だからね、あたってるのよ。

さて、

昨日の「空のパラドックス」ね、あれ、だれかが、龍樹が他で使った論法を「一切空」の議論にドッキングさせたものだと思うわ。たぶんね。そのうち調べてみるわ。「一切空」をめぐる議論は、反論者の議論も龍樹の応答も全部龍樹が作ったものだって知ったら、あのパラドックスはどうなるのかな。

あの三浦氏が立てた反論者の解答の中にも、すでに一つ龍樹によって仕込まれたパラドックスが入っているんだぞ、っと。三浦氏は気づいていないみたいだ。

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2004/10/25

負けるな!ナーガールジュナ

台風に地震と、被害が重なる日本列島ですね。
あげく台風24号もなんだかこっちに向かってきているということで、もう来なくていい!っていいたいです。

何か日記を書こうと思うのですが、災害のニュースに気を奪われて、自分の一日なんてたいしたことないや、と書くこと思いつきません。

といってる間に思いつきました。
三浦俊彦氏『心理パラドックス』をつい買ってしまいました。
デパ地下で帰りに晩ご飯のおかずを買おうとしていたのになぜか6階の本屋さんにいて本を見ておりました。おかしいなぁ。どうしてここにいるんだろ。

などと言ってないで、買った本の話でも。
なぜ買ったかというと、「空のパラドックス」という問題があって、ナーガールジュナが出てきていたからです。
おお!おまえも有名になったなぁ。「インド仏教の論師」って書いてある、よかったね、詭弁家とか書かれなくて。
でも、ありゃ、虚無主義を説いたことになってるぞ。

まあ、こんな感じで、微妙に西洋っぽい!ところが、くすぐったい。
『ヴァイダルヤ・プラカラナ』って、本の名前が載ってて、ほお!
詳しい。
でも、下の議論は『廻諍論』にあるものを指してるのじゃないだろうか。『ヴァイダルヤ・プラカラナ』には空の議論はなかったと思うけど。

本の中には、ナーガールジュナの意見として

「『世界が空である以上、汝の議論も空であって、不確実なものではないかと反論者が主張するならば、その人はすでに(世界が空であるという)私の説を認めたことになるだろう』と。論争術としては巧みな議論だといえましょう。」

とあって、ナーガールジュナの説は論理的に正しいかどうか批判しなさいという問題がついています。

答えのところでは、反論者の説は次のような形をしているとして、以下のごとくに説明されます。

        仮定a  すべては虚妄である
                   ↓
              仮定aも虚妄である
                   ↓
              虚妄であるものは不確実である
                   ↓
              したがって仮定aは不確実である

そして、ナーガールジュナの誤りは、仮定aを「仮定」として提示してあるのに、反論者の主張と受け取ったことだとされて、反論者は虚無主義の批判に成功しているというのです。

うわーん(泣)。

そもそもこんな議論どこにあるんだぁ。はちゃめちゃにめちゃくちゃだぁ。

いろいろでたらめだけど、もういいわ。ただ一つ、「虚妄であるものは不確実である」というのを認めたとして(ほんとはそんなこと言ってないんだけど)、「仮定aが不確実である」と出てきたなら、そのまんまそれでいいんじゃない。仮定aは虚妄で不確実なんじゃない。それだけじゃん。虚妄なものが確実だって方がおかしいと思うけど。
「虚妄なものは不確実である」では「不確実」の語が対象言語だと思うけど、仮定aについて「不確実」というときはメタ言語にすり替わってるような気がするわ。でも、もういいわ、そんなこと。

もし、ほんとに、こんな議論をナーガールジュナがしていたことにされたとしても、それでもナーガールジュナはめげないと思うわ。

きっと彼はこういうと思う。
「仮定aが不確実なら、おまえは、その言葉とおり、仮定aが虚妄であると知ることになるだろう。不確実なものはすべてあきらかに虚妄といえるのじゃないか。確実なものですら虚妄だと言っているのである、不確実なものなら言うまでもなく虚妄だろう。」

負けるな!ナーガールジュナ。

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