2012/05/20

猫 と 猫 が合わさると。。 人間さまを従えるにゃん

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いろんな花が咲いてて、きれいな北海道。

いろんな猫が、咲いてて。。咲いてて?

猫は、咲いてないよ、管理人。

あ、そうでした。
みなさま、こにゃにゃちは。

感染症を心配した病院のお達しで、
猫たちは、扉越しにしかあえなかったのですが、
本日、晴れて、対面可能となりました。

サムは、気になって、気になって仕方なかったっす。
ああ、会いたいよ~~~、さわりたいよ~~~、かじりたいよ~~~。

ダンは、そんなんでもありません。
もっぱら、えさっ!えさっ!えさっ!え~さ~~っ、ほ~し~い~ぃ~!

ご対面の図。
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お、けんかしてない。。

おお、仲よさげ。
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だけど、大きさちがう。。。右、サム4.62kg、左、ダン3.20kg。

上サム、下ダン 見つめ合う 猫と猫  はらから・兄弟・同類項。
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俺たち、猫属、ハイ・カースト、人間さまを従えるニャンニャン。
強いぞ、われら、猫カースト。
ニャーニャがいっぱい、智慧いっぱい。

おいしいえさもいっぱいで、人間さまを従えるニャンニャン。
ただでベッドをゲットだぜ、
そんでもって、人間さまを従える、ニャンニャン!

ちょっかい出すのは、サムにゃんこ!
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おや、ダンのすけ、見つめる先には、何がいるのかな?Sbsh0200


でれ~っと、くつろぐサム王だすだす
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ニャンコ王サム と ニャン卓の騎士ダン!
われら、強いぞ! えいえい、にゃぉ~~~ん!

人間さまを従えるにゃんにゃん、にゃぉ~~~ん!!

威勢がいいのう。。
大半、居住区をとられた管理人たち人間どもは、
どこに行けばよいのやら。。

猫のブログとなりはてぬこ

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2012/05/19

在家仏教の講演会の余韻~

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廃校になった小学校の庭に、
さびしく咲いてる八重桜。。

子供たちのいない学校は、ほんと、さびしい廃墟。
あっという間に、あらゆるものが、朽ちていきます。

そうそう、
寂しがっている暇はない!
昨日は、在家仏教協会の講演会にお出でいただいたみなさま
ありがとうございました!
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お天気もよく、お花いっぱいの大通公園です。
このすぐ近くのビルで、行われました。

会場に着く前に、一休みして、ぱちり。
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ほとんど寝てなかったので、どうなることかと心配でしたが、
でも、
何とか無事、意識もクリアなうちに終えることができました。


「自己を洲とせよ、法を洲とせよ」

この有名なことばの入った経典を、
アーナンダ尊者を中心に語ってみました。


いたるところで、ブッダの優しい限りない慈悲にふれます。

こんなに、ブッダは、あったかい人だったんだ。


ブッダは、こんなにも優しくアーナンダに語ります。


       ***

サーリプッタ尊者の死に出会い、
動揺して、茫然自失するアーナンダ。

サーリプッタの、優しい人柄を思い出します。
いつも法を説いて説明してくれる人。
励まし、鼓舞してくれる人。
教え諭してくれる人。
一緒に清浄行に励む仲間。
法の楽しみ、法の利益を与えてくれた人。


サーリプッタは、逝ってしまった。。


身体が酔ったようになって、方角もわからなくなるアーナンダ。


ブッダは、そんなアーナンダに語りかけます。

「アーナンダよ、わたしは、前々から、
こういうことを語ってきたであろう。

『一切の愛しく好ましいものは、変化していき、
離れていき、分かれてしまうものである』と。

アーナンダよ、このことを、今ここで、どうすることができようか。
生まれたもの、存在しているもの、作られたもの、壊れるもの、
このようなものに、実に、破滅してはならない、といっても、
そうなる道理はないのである。

アーナンダよ、たとえば、大きな樹木がしっかりと立っているとしよう。
だが、その樹木の、大きな幹が折れることもあるだろう。

同じように、アーナンダよ、大きな比丘の僧団はしっかりと存続しているのだが、
サーリプッタは、般涅槃したのである。
このことを、今ここで、どうすることができようか。

生まれたもの、存在しているもの、作られたもの、壊れるもの、
このようなものに、実に、破滅してはならない、といっても、
そうなる道理はないのである。

それだから、アーナンダよ、
自己を中洲として、自己をよりどころとして、他をよりどころとすることなく、
法を中洲とし、法をよりどころとして、他をよりどころとすることなく、住みなさい。」

(『サンユッタ・ニカーヤ』47.13「チュンダ」)


優しいけれど、

優しさが、すでに、  法の かたちをしています。

法を説いているのです。

ブッダは、ただ法を説いているとも見えるのです。

でも

でも、

それが、限りなく、優しい。。。

さらに続きます。

ブッダは、アーナンダに教えます。

「アーナンダよ、
比丘が自己を中洲として住み、自己をよりどころとして、
他をよりどころとすることなく、
法を中洲として、法をよりどころとして、他をよりどころとすることがない、
というのは、どういうことだろうか。

アーナンダよ、今ここに比丘がいて、身体において、身体を観察して住している。
熱心に、気をつけて、気づきをそなえ、世間の貪欲や憂いを調伏して、そうしている。

諸々の感受において、感受を観察して住している。
熱心に、気をつけて、気づきをそなえ、世間の貪欲や憂いを調伏して、そうしている。

心において、心を観察して住している。
熱心に、気をつけて、気づきをそなえ、世間の貪欲や憂いを調伏して、そうしている。

諸々の法において、法を観察して住している。
熱心に、気をつけて、気づきをそなえ、世間の貪欲や憂いを調伏して、そうしている。

このように、アーナンダよ、比丘が自己を中洲として住み、
自己をよりどころとして、他をよりどころとすることなく、
法を中洲として、法をよりどころとして、
他をよりどころとすることがないのである。

アーナンダよ、今も、あるいは、わたしの死んだ後も、
自己を中洲として、自己をよりどころとして、他をよりどころにせず、
法を中洲として、法をよりどころとして、他をよりどころとせずに住むようであれば、
学ぼうと望む比丘たちは誰であれ、最高処にいるであろう。」
(『サンユッタ・ニカーヤ』47.13「チュンダ」)

自分の死後までも、アーナンダのことを、
気遣うブッダです。

でも、

でも、

説いているのは法なのです。
四念処なのです。

ここに理屈があります。
理屈にのっているのです。


なぜ、自己を洲とするのか
なぜ、法を洲とするのか

自己と法

これらがなければ、生きていけないアーナンダのために

いや、

アーナンダだけではなく、わたしたちのために

そのためにこそ、ブッダは、わざわざこれらを入れて、

彼岸への道筋を、つくってくれたんだなあ、って、思うのです。

ありがと、ブッダ、だいすきよ! 
あ、執着してないつもりよ、だいすきだけど。

というところで、
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お待たせニャンコ、ダンさまだっち。

しかし、顔に似合わず、声がものすごくかわいい。
チョー甘ったれた声で、にゃくのです。

ミャァ~~オォ、ミャン、ミャン
すぐえさやっちゃうにゃんよ、管理人ったら。

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2012/05/13

宝石が宝石を生むという話。。さらに、おまけ猫

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少し前の画像ですが、これで、心をなぐさめよう。。ホロホロ

なぐさめようとしても、なぐさまらない、
悲しい、というか、うれしい、というか、
くるしい、というか、たのしい、いうか

そんな出来事がっ!

ピンポンとなったのが、先週の日曜日。
出てみると、お隣のお姉さん。

「お宅のサムちゃんが、うちの庭にいました」

「え? サム、家から出たことないですが。。」

「でも、ほら、そっくりの ねこちゃんが」

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うまく撮れてないけど、
痩せてて、ボロボロ、きったないぃぃ にゃんこ一匹。

ど、どうするのよ、どうしろ、と、どうすりゃいいのさ!
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あ、家にあがった!
あはは、はぁ~~、うちの猫になっちゃったっす。
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もう、いらない、ねこなんて、もう、これ以上一匹もいらない、

ああ、前回、

「宝石(マニ)が、宝石(マニ)を生ずる」

なんて、余計なことを書いたために、

マニ(猫)が、マニ(猫)をよんできちゃった。。


ところで、この猫、サムっちとは、どうやら兄弟みたいだ。
似てるでしょ。

同じ頃に生まれたかもしれない。
よく冬を越せたなあと思うけど。
だから、野生が、すごい!

えさをがっつく姿は、う、かわいそ、餓鬼道を歩んできたんだな、って思う。

わずか、2.5kg、がりがりの骨だらけ。。。
サムっち、4.6kg、まるまるのま~るまる。。

ちなみに、これが、サムっこ
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裕福にそだったみたいに見えるっちね。


そんでもって、

あ、一週間たったノラ。。

やいやい、管理人、ノラじゃなくなったんぜ。
ちゃんと紹介してくれよ、おいらのこと。

あ、名前もあるんだ。

ダン、ってぇんだ、よろしく頼むぜ!

なんで、ダンかっていうと、
暖かいときに拾われたから、だってさ。

寒いときに拾われたのが、サム
暖かいときに拾わ さ れたのが、ダン

イージーじゃねぇか、
ここんちよぉ、

おいら、こんな顔!
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だれ、ブッ!ってふいたの!
失礼だぜい、男らしい、っていってほしいぜぇ。

管理人、なんだよ、笑いっぱなしじゃねぇか。

おいらを病院に連れてって、財布の中、みて、泣いてたくせによ。
やだな、ビンボー人に拾われるおいらの身にもなってくれよ。

一週間で、500gしか増えてないところが、
おいらの奥ゆかしいところさっ!


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2012/05/05

賢治と『法華経』。。それとおまけ猫

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あ、っと思ったら、一気に花開きました。
5月1日に撮ったものです。

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開花宣言と同時に満開、という早業です。

あまりに急激に気温が上昇したので、
咲くべき花が、全部一度に咲いてしまいました。

スイセン
チューリップ
パンジー
ツツジ
レンギョウ
サクラ
コブシ
ウメ
ツクシ
ユキヤナギ

書いてる花の写真がないじゃん、って言わないで。
撮りにいけなかったのよぉ。

連休に入ったら、体調崩してダウンしてました。
疲れがたまってるのかも。。

ああ、これから先行き思いやられます。

===

ところで

島地大等氏『和漢対照妙法蓮華経』を手に入れました。
6000円もしたので、どんなに厚い本かと思ったら
小さな本でした。

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おお、これが、あの宮沢賢治が
「かの赤い経巻」と呼んだ経典か!

宮沢賢治が親友の保阪嘉内にあてた封書(1918,6,27)
~~~

保阪さん、諸共に深心に至心に立ち上がり、敬心をもって歓喜を以て
かの赤い経巻を手に取り
静かにその方便品、寿量品を読み奉らうではありませんか。

~~~~
(西郷竹彦氏『「二相ゆらぎ」の世界』黎明書房、p.38より)

賢治は、『法華経』が、そんなにも好きだったんだなあ、って、
あらためて見つめます。

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新書の『中論』と比べても、そんなに大きくありません。
コンパクトでいいかも。。
でも、
高かったかも。。
だから
もととるまで読むかも。。発想がビンボーだにゃ


この経典から、あの珠玉の名作が生まれたのか!

宝石(マニ)が宝石(マニ)を生じていくね。。

法華経が、どんな風に、宮沢賢治の中で消化されて、
そして
かれの作品に昇華していったのだろうか。

知りたいね!
読んでみるよ。


というところで、おや?
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マニ(猫)が、マニ(猫じゃらし)をっ! ねらってるっ!


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2012/04/30

中洲ったら、中洲ぅ

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豊平川のサイクリングロードで。雪解け水で川は増水してます。

ほぼ20キロの距離を走ってきました。
最初なので、ちょっと息切れ。。。ゼイゼイ。。
やれ、なさけない!
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正面にある汚いものは、雪の山。
雪捨て場の名残ですが、まだたくさんあるね。

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自転車の人がいるけど、ここで、ほぼ行き止まりです。

それにしても、もう少し、体力つけないとダメね。

         ***

さて、さて、これは中洲。
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豊平川の、中洲をみて、

ああ、そういえば、

「自己を洲とせよ、法を洲とせよ」

って、ずいぶんサイトでも、このことばでもめたなぁ、って、
思い出しますね。


豊平川は、雪解け水で、中洲もだいぶ小さくなったかも。

こんな濁流の中にあるとき、
やっぱり、

自己は、中洲(よりどころ) です。

大事な、中洲!
流されるなよ!
しっかり踏みとどまって、足場を作れ。

自己が消えていくなら、
法を中洲にしていなさい。
さっきより、少し小さいかな、でも大丈夫。。
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法は、ほんとうに安全地帯のような気がするね。

だけど、こんな風に中洲もないなら
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暴流にあらがうことなく、
力まず、足場をもたずにもがき逆らわずに、渡るんだよ。。

わたしは、そうやって渡ったんだよ、って

ブッダは言ってます(『サンユッタ・ニカーヤ』1.1.1)


しかし、やっぱり川の流れが速いと、こわいね。

中洲は大事にしよう。
中洲にたよって、渡ろう。


というところで、お知らせです。

札幌で、在家仏教講演会があります。
石飛がお話ししますので、お暇な方はどうぞいらしてください。


日時:  5月18日(金)、3時~4時30分
場所:  大通り7丁目 ダヴィンチ札幌パークフロント4階

演題  自己を洲とせよ、法を洲とせよ

http://www.zaikebukkyo.com/zaike/b/b07.html 


え、なんですか。。

演題が、安直じゃないかって。

えへっ!
とっさに出てきたのが、このことばで。。

ほんとに、

わたしの中洲に、なってくれてる、このことばっ!
ありがたや~~!

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サイクリングに行けなくて、
ぼく、一人で遊ぶもん、すねちゃうもん。

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くーーーーーー!
ぼくを、中洲。。じゃなくて、泣かすなよぉぉ~。
ずるいぞ、かんりにーーーん、にゃん、にゃん、ぐす。


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2012/04/29

ブッダに成るには、どうすりゃいいの?

ようやく花の写真が撮れるようになりました。
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パンジーは、鉢植えですね。

自力で咲いているのは、クロッカスのよう。
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知らないうちに、連休に入っていたことに今朝気がつきました。

よっしゃ!
とばかりに、
自転車に、荷台を取り付けました。
泥よけは、なくてもいいか、って気がします。
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連休中に、自転車乗ってみなくちゃね。

最近、ほんとにヘロヘロになってるので、
よくわからないうちに、日が過ぎてく感じです。

書いておかないと、忘れちゃうかも。
昨日は、朝日カルチャーセンターだった。


『ダンマパダ』第14章 「ブッダ」

毎回、一章ずつ読んでいくことにしたのだけど、
回を重ねるごとに、

ほんとに、『ダンマパダ』って、いいなぁ~~~~っ、って、

心の底から思うのだ!


すごくいいのは、ふつうっぽいところ。
世俗の人に、よくわかるのに、
出家の人にも、十分大事な内容だ、ということ。

世俗と出家の距離が、あまりない。
でも、
出家には出家の悩みがあり、
世俗には世俗の悩みがある、
ってことがわかる。

そして、それら出家と世俗とは別に、そびえる高い壁。
それが、ブッダ!

ほとんど、人間が成るのは不可能かと思うくらい、
だけど、ブッダ!

どんなに成るのがむずかしくても、なれないとは言わない
それが、ブッダ!

それが、目覚めたもの! なのさ。

『ダンマパダ』を読んでみよう。
====
184 
忍辱、忍耐は、最高の苦行である、
涅槃は最高である、と、
諸仏は告げる。
実に、出家者は、他を害しているものではない。
沙門は、他に害を加えていることはない。

185 
非難することなく、他を害することなく、
戒においてよく守り、食事において適量を知り、
一人離れたところに寝起きして、禅定に励む、
これが,諸仏の教えである。
====

むずかしくても、まるきりできないわけじゃない。
だけど、誰でもができるわけじゃない。

考えてみれば、そうだけど、
どんなことでも、何か一つをやりとげるというのは、
ブッダに近づくことかもしれない。。。ね。

世の中、どんなところにも、
自分のできる範囲で努力する人というのは
必ずいるものだ。

立派な人というのは、ほんとに、
まわりを見回すと、けっこうたくさんいるんだよ。

心を入れ替えて(?)
ちょっと見習ってみようと、思ってるところです。
(うまく人間変えられるか、祈っててくれい)

で、

コツはね、
「自らを制御すること」

「他を傷つけないこと」

どうやら、この二つみたい。。ね。

ブッダになれてもなれなくても、
この二つ、何とか守れるなら、

ちょっと幸せになれそうだ。


    ***

実は、今、宮沢賢治を読んでるところ。。
いろいろ書きたいけど、ちょっと、今は秘密。。
考えてるとこだからね。

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よ、ちょっとまともに写ってる、おすまし猫ちゃん。

っと、思ったらぁ~~、なんだこりゃぁ~
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2012/04/21

雑に雑感、

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泥よけ買ったついでに、ヘルメットと手袋も買っちゃったです。

どないするねん!
道があるねん。
004

走るねん。
走ってる写真は、ないねん。

自分が乗ってるからだねん。


ほんとに、これが自転車なのか、っていうくらいちがう。

軽い、速い、ものが乗らない。。
(いつも、同じセリフです)

こわいのは、止まるとき。
急に止まるので、つんのめってしまう。

だから

だから?

一度乗ったら、止まらないことにしました。
一回り3kmの公園を三周して、ほぼ10km走ってきました。

止まったのは、信号の二回だけ。

まずまず、です。
====

さて、昨日の金曜日、
午前1時半に、起きて、介護スタンバイ+予習をしていたら、

朝になり、そのまま仕事に行きました。

帰ってからも、介護+家事+介護+家事+介護zzz。。おっと。


そのまま、夜の11時を過ぎ、なんと、22時間近く起きていました。

さすがに、ときどき意識不明になって、やばかったです。


もう少し、時間調整を考えた方がいいね。

====

そんなこんなで、時間は足りず、仕事は足りすぎで、
けっこう追い詰められてましたが、

死にそうになりながら
『大智度論』を、意識不明の頭で読んだら、
なんとなく、蘇りました。

眠くて意識はないけど、覚醒感がある、という不思議な感覚です。

      ***


『ダンマパダ』より、

46.この身体を、泡沫のようであると知って、
まぼろしの性質(法)であることをよく悟っている者は、
花で飾った悪魔の矢を断ち切って、
死王の見られないところに、いくだろう。

47.花を摘み集めるのに心奪われている人を、
死は、連れ去っていく。
あたかも、眠っている村を大洪水が連れ去っていくように。

48.花を摘み集めるのに心奪われている人を、
まだ欲望が満たされないうちに、死神は征圧する。

          ***


「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、
世界を空なりと観ぜよ。
そうすれば死を乗り越えることができるであろう。
このように世界を観ずる人を<死の王>は見ることがない。
(『スッタニパータ』1119、中村元訳、岩波文庫)

          ***

ブッダのことばで、印象深いのは、この、死王と「空」の関係です。

この世を空であると観ずるもの(『スッタニパータ』1119に関連)
幻の性質であることを知っているもの(『ダンマパダ』48に関連)

これらの者は、死王を見ない、と、言われます。


ここは、龍樹の『中論』では、

===
輪廻は涅槃とまったく区別なく、
涅槃は輪廻とまったく区別がない。
//25-19//
===

ということとも関係するのだろうな、と思います。


世界を空と見て、
事物はまぼろしのようと見て
それらの特徴を取らないならば、
世界は寂滅して、涅槃のようだからです。


輪廻世界にいても、涅槃のごとし、なのですから、

===
涅槃の究極は、輪廻の究極である。
両者にはいかなる微細な隙間も存在しない。
//25-20//
===

と言えるでしょうね。

涅槃の果ては、輪廻の果て。。。

なかなか、わかるようなわからないような、でも、いいことばのような。。

お、反抗期のような。。
023
フン、おいら、猫だいっ!

反抗期のまま、寂滅静止してまんねん、ねん、ねこ、ねん。

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2012/04/08

ああ、自転車操業の日々

毎日雪が降っている北海道。
4月だというのに、どうなっているんでしょうか。
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お、猫の写真じゃない!

新しい自転車を飼いました。。あら、買いました、でした。
猫の話ばかりだったので、パソコンも猫化してます。

なんと、紫色。後ろのは、15年前には新品だったママチャリ。
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うーーん、同じ自転車とは思えない。

軽い、速い、物が乗らない。。。どこでも行けそう。

自転車屋さんが、「世界が違いますよ」って。
ほんとだ、世界がちがう。

ブレーキをかけると、なんと! とまるっ!!

ママチャリなら、ずずず~っと、いう具合に止まっていたのに。

自転車の前に身体が飛び出しそうです。


====
介護で、夜中に何度も起きるのがつらいので
とうとう、明け方から起きてる予定を組みました。

けっこういい感じです。


そんなわけで、

どんなわけで?

龍樹なのです。

なんでそうなるの?


スピード感のある世界は、龍樹のもの。
色即是空、空即是色

薄紫の色も、龍樹っぽいしね。(どこが?)

今年は、自転車こぎながら、龍樹をべんきょしよう。

ま、言い換えれば、今年も自転車操業、ってことね。

====

この世にブッダのいることを知ったのは、
ついこの前だったけど、

いまや!
ブッダがいなければ、
もはや、一日も成り立たないのが、わたしの生活。

あらゆることが、混乱してくる。

ブッダのおかげで、毎日、忙しくても
何とかスケジュールがこなせるのです。

もし、ブッダに出会えなければ、
介護と仕事と家事と猫の世話と原稿書きと自転車は、無理だと思う。。。
あ、まれにブログも書いてるし、ツイートまでしてる。。

でも、さすがに、べんきょができない。

お釈迦さま、お願いします。
われに七難八苦を。。じゃ、なかった、べんきょする時間をお与えください。

って、こういうときだけ、お釈迦さまにお願いしてもだめだよね。

====

何とかしよう、自分で。


仏教を知って善いところは、

仕事が忙しくて
生活が悲惨でも

あまり気にならないことです。

能力が乏しくても
お金がなくても

あまり気にならないことです。

思想が変化しても
流行が変わっても

あまり気にならないことです。

煩悩があっても
悟りがあっても

あまり気にならないことです。。ん、悟り?

悟りはないかもしれないけど、気にならないことです。


ただ、生きてるかぎり、大事なことは
「行(意志)」
ではないか、と思うようになりました。


生きていこうと思うならば、
善き意志をもたなければならない。

「願」と呼ぶんだね。

=====
生じたものが滅する理であるならば、
善き意志をもて
=====

っと、言ってみよう。

そうすれば、どんな毎日でも、幸せにおくれる。
ああ、しわよせはくるけど、しあわせもくる。

そして、猫もくる。なんか、ずずっと、寄ってくる気配。。
にゃ、にゃん、ずり~、こにゃにゃちは。。
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2012/03/26

サンガジャパン Vol.9 上座仏教と大乗仏教

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目つき真剣。。だけど、どことなくオットセイ風。

そんなことかまってられるかぁ、

だって、

だって

見つめる先には。。。

046

そう、猫じゃらし。

ほんとに好きだよね、猫じゃらし。

二日前、急に調子が悪くなって、
えさも食べなくなって、じっと寝ているだけになりました。

その前まで、悪さしかしないので、
もう、ほんとに、「そばに寄るなあ」って、
じゃけんにしてたら、

ほんとに寄ってこない。。

そうなると、また、心配になる。

あんなに悪さしてたのが、なつかしい。
はやく元気になって、駆け回れ、って気持ちになるのが、げんきんね。


心配しているうちに
今日になったら、また元通り、腕白猫に戻ってました。

あんなに、
「腕白でもいい、元気でさえいれば」
って、祈る想いで言っていたのに、

元気になったら、ころっと変わって
「病気の時は静かでよかったね」って、
気持ちがしてくるのは、なぜ。


我ながら、いい加減な性格だ。

===
さて、さて、

『サンガジャパンVol.⑨』は、
特集のテーマが、「上座仏教と大乗仏教」です。

おもしろそうな
問題の多そうな
むずかしそうな テーマです。

今までの経緯から考えて、

上座仏教 と 大乗仏教

という、この並記は、なんとなく対立の構図。。。のよう


と思ったかもしれませんが、
中を読みますと、意外と、そうでもないのです。

わたしも、このテーマで書いてみました。

お題は

「龍樹菩薩の気持ち」


今までも書いてきたことですが、
大乗と部派の二つの仏教は、どちらが欠けても、
仏教は成り立たない
と、述べました。

どちらも、仏法を伝える、
とも書きました。

よかったら、読んでみてください。

       ***

現代は、
新しい仏教運動の流れの中に
あるのだろうか

という気もしてきます。

仏教の理解が進んでくると、
仏教的な精神を、みなが感じ取れるようになってくる。

そうなると、
部派と大乗の違いを乗り越えて、
仏教がめざしていくものが
見えてくるような気がしますね。


      ***

なんだか、あまりたいしたこと書いてない日記ですね。

二つの仏教は、違いはあれど、
確実に共通するのは、
どちらも、「人を救う」ということ。

この国で、たくさんの人が、
それを期待し、それを求めてるということ。

自由な空気の中で、自由な感受性で、
はるか昔に自由に活動した
ブッダの精神をつかみたい。

こんな感じかな。

「自由に」語り
「自由に」求めよ。
「自由に」悩め。
「自由」に苦しめ。
「自由」に活動した、過去の声聞・菩薩に 倣いたい。

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最後は、自由の象徴、わがままニャンコ のお通りだい、だい!

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2012/03/12

猫はどうして猫なのか

壁で爪を研ぐので、壁がはがれ落ちてきました。

苦肉の策で、爪研ぎを貼り付けました。
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どうだっ! べたべたに貼ったぞ。。おや! ピンクのものは?


大好きな、大好きな、三度の飯より大好きなぁ。。ねこじゃらしっ!
007
爪研ぎも好きだけど、
ねこじゃらしには、目がないの、ぼく。。。


虎視眈々 眈々 眈々 タンタン タン♪ 
009
とりゃっ~~!


===


しかし、猫よ、おまえはどうしていつでも猫なの。

人が何かしていると、必ずやってきて、

ちょうどここにいると、ものすごく邪魔っ!

って、場所に、ピタッとおさまる。


掃除をすると、ゴミの中。
歩いていると、その足に。
手作業中は、手をなめる。
坐っていると、膝の上。

026

ああ、うるさいぞっ!
おじゃま虫。

どうでもいいけど、顔をなめるのはやめてくれる。
サンドペーパーみたいな舌で、なめられると
玉のお肌も、ざーらざら。

最近、よりいっそうすり切れてきてるんだよね、お肌が。


さらに!


この前は、夜中に遊んでやらなかったので、

すごくすねて、手をひっかくは、かみつくは。

家中暴れまくって、
カーテンをのぼったり、
植木鉢けちらかしたり、
障子の紙を破ったり、

どうして、
人の困ることだけ選んでするんだろね。


どうして、生まれた時から、猫は猫なんだろ?
人は、生まれた時から、人だろか?


しかし、猫みていると、

「存在する」

ということがどういうことか、よくわかる。


存在とは?

存在とは、 


他をして
ああ、邪魔だ
と、思わせることである。


なるほど!!

存在感がある、って

邪魔って、ことなのか?


たしかに、ある意味、障害物は存在感がある。

壁は、障害にもなるが、
寄りかかるとき、盾になる。

おじゃま虫猫は、障害物だけど、
寄りかかられると、横になる。

たてとよことで、存在感!!
030
ぐわーーっ!がしがし。。かみかみ。。

031
つかれたニャー、

猫じゃらしとぼくの 静止画像なりぃ。

以上!
「猫は、どうして猫なの」の哲学的考察を終わります。


どこが、哲学的だ?

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